« 2015年5月 | トップページ | 2016年1月 »

2015年9月

Low Cut Connieの新作に見る現在のガレージ・ロック・シーンにおけるダップトーン・サウンドの人気

Lowcutconnie

点と点を繋げる楽しみ。そして、点と点が偶然、繋がる楽しみ。ともに音楽を聴く醍醐味だ。
 
“全人類のための新しいブギ”を掲げるロウ・カット・コニーは、フィラデルフィアのロックンロール・バンド。
 
結成は10年。それまでレディーフィンガーズ名義でギターやピアノを弾きながらソロ・アーティストとして活動していたアダム・ウェイナー(ヴォーカル、ピアノ)とイギリスのバーミンガムでスワンプミートというロカビリー・バンドをやっていたダン・フィネモア(ドラムス、ギター)がニューヨークで出会い、意気投合したことがバンド結成のきっかけだった。
 
彼らがこれまでリリースしたアルバムは、今年4月にリリースした『Hi Honey』を含め計3枚。12年にリリースした2ndアルバム『Call Me Sylvia』収録の「Boozophilia」が今年8月、ホワイトハウスが発表したオバマ大統領のSpotify Summer Playlistの1曲にボブ・ディランやジャスティン・ティンバーレイクらとともに選ばれ、メンバー達をビビらせたことも含め、アメリカでは徐々にではあるけれど、注目されはじめているようだ。
 
彼らの存在を、どこでどんなふうに知ったのか忘れてしまったが、聴きそびれていた『Hi Honey』を慌てて買い求めたのは、同アルバムがトーマス・ブレネックのプロデュースの下、ブルックリンにある彼のダンハム・スタジオでレコーディングされていることに気づいたからだ。
 
トーマス・ブレネック! ご存知、現代におけるヴィンティージなリズム&ブルース/ファンク・サウンドを推進するブルックリンのレーベル、ダップトーン・レコードのハウス・バンド、ダップ・キングスの元ギタリストである。ダップトーンの看板アーティスト、シャロン・ジョーンズのアルバムはもちろん、ダップトーンやダップ・キングスの存在が世界中に知られるきっかけになったエイミー・ワインハウスの『バック・トゥ・ブラック』でもプレイ。現在はメナハン・ストリート・バンド、ブドス・バンドのメンバーとして活動するかたわら、プロデューサー、エンジニア、セッション・プレイヤーとしてもさまざまなレコーディングに参加している。
 
どうやら今、ガレージ・ロック・シーンではダップトーン・レコードやダップ・キングスのサウンドが人気らしい。そんなことを感じはじめたのは、レイニング・サウンドの『Shattered』(14年7月)とジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンの『Freedom Tower No Wave Dance Party 2015』がともにブルックリンにあるダップトーン・レコードのスタジオでレコーディングされていたからだった。
 
Shatteredjkt Shattered / Reigning Sound
 
Freedomtowerjkt Freedom Tower No Wave Dance Party 2015 / The Jon Spencer Blues Explosion
 
 
因みにジョン・スペンサーはダップトーン・スタジオでレコーディングするにあたって、レイニング・サウンドのグレッグ・カートライトに使い勝手を尋ねたそうだが、その後、ブラック・キーズのダン・オーバックが新たに始めたジ・アークスのメンバーにダップ・キングスのメンバーが3人いることを知ったとき、点と点が見事に繋がっていった。
 
Yoursdreamilyjkt Yours, Dreamily / The Arcs
 
 
そして、ロウ・カット・コニーの『Hi Honey』である。ガレージ・ロック・シーンにおけるダップトーン・サウンドの人気は、僕の中で確信に変わった。
 
そう言えば、ブラック・リップスが14年3月にリリースした『Underneath The Rainbow』は全12曲中4曲がトーマス・ブレネックとバンドの共同プロデュースによるダンハム・スタジオ・レコーディングだった。さらに遡れば、ブラック・リップスが11年にリリースした『Arabia Mountain』は『Back To Black』にダップ・キングスを起用したマーク・ロンソンのプロデューサーだったんだから、ガレージ・ロックにおけるダップトーン・サウンドへのアプローチはそこから始まったと考えてもいいかもしれない。
 
Underneaththerainbowjkt Underneath The Rainbow / Black Lips
 
 
ともあれ、ダップトーン・サウンドにアプローチするガレージ・ロック・バンドはこれからも現れるにちがいない。ヴィンテージなサウンド以外に彼らがダップトーン・サウンドの何を求めているのかについても考えながら、注目してみたい。
 
ところで、“全人類のための新しいブギ”を掲げるロウ・カット・コニーだが、『Hi Honey』を聴くかぎり、彼らの音楽性はブギ一辺倒というわけではなく、なかなか幅広い。
 
 
ガレージ・ロック風だったり、パブ・ロック風だったり、あるいはジェリー・リー・ルイス風だったり、フェイセス風だったりしながら、リズム&ブルース、ゴスペル、スワンプ・ロック、ニューオーリンズ・サウンドなど、さまざまな要素を散りばめ、最後まで飽きさせない。ダップ・キングスのホーン隊やコーラス隊の起用も見事にはまって、これぞロックンロールと言えるアルバムが完成。
 
スペシャル・ゲストとして、チューン・ヤーズことメリル・ガーバス、ディーン・ウィーン(ウィーン)、グレッグ・カートライト、そして『ザ・ソプラノズ』のビッグ・プッシー・ボンペンシエロ役でお馴染みの俳優、ヴィンセント・パストーレが参加している。
 
 
Hihoneyjkt
Hi Honey / Low Cut Connie (Contender)

|

Grant-Lee Phillipsの新作は、The Balck Keys / The ArcsのDan Auerbachのプロデュース(Dan Auerbachは働き者だその5)

Glp

R.E.M.の日本武道館公演のオープニング・アクトを務めたこともあるロサンゼルスの3人組、グラント・リー・バッファローが99年に解散すると、グラント・リー・フィリップスは早速、ソロ活動を始めた。
 
その活動がここ日本で大きな話題になることはなかったが、それから2、3年おきにリリースしつづけてきたアルバムは12年発表の『Walking In The Green Corn』で7枚目なんだから、彼が精力的に活動してきたことが窺える。
 
『ギルモア・ガールズ』に準レギュラーとして出演したことも。
 
そのフィリップスがブラック・キーズのダン・オーバックをプロデューサーに迎え、8作目のソロ・アルバム『The Narrows』を完成させた。
 
※その後、オーバックのスタジオで彼所有のヴィンテージ機材を使ってレコーディングしただけでオーバックは参加していないことが判明。プロデュースはフィリップス自身が担当。(16年4月4日追記)
 
レコーディングは14年4月、ナッシュビルにあるオーバックのスタジオ、イージー・アイで、ジェリー・ロー、レックス・プライスら名うてのセッション・ミュージシャンとともに行われ、わずか3日でアルバム1枚分の曲を録り終えてしまったそうだ。
 
「あっという間に作った荒々しい作品なんだ」とフィリップスが語るその『The Narrows』。これまでのロマンチックな作風とはちょっと違う作品になっていそうだ。
 
リリースは今秋(10月?)の予定。

|

Johnny Walker (ex. Soledad Brothers)の優雅な人生

Soledadbrothers

ソウルダッド・ブラザーズ。真ん中がジョニー・ウォーカー

オルガンを弾きながらリズム&ブルースを、しゃがれ声で唸るように歌うジェームズ・レグの新しいアルバム『Below The Belt』を聴きながらブックレットをチェックしていたら、レコーディングの参加メンバーの中にジョニー・ウォーカーという懐かしい名前を見つけた。
 
 
ジョニー・ウォーカーはホワイト・ストライプスとともにデトロイトのガレージ・ロック・シーンを盛り上げたパンク・ブルース・バンド、ソウルダッド・ブラザーズの元フロントマン。
 
 
オハイオ州トレド郊外で98年に活動を始めたソールダッド・ブラザーズは、ライヴ・アルバムを含む5枚のアルバムをリリースしたのち、06年に解散。ウォーカーはカット・イン・ザ・ヒル・ギャングというバンドを新たにスタート。3枚のアルバムをリリースしたが、その後、ウォーカーの名前を聞くことはなくなってしまった。
 
これまでどうしていたんだろうと思い、調べてみたら、現在、ウォーカーは大学病院の精神科でチーフ・レジデントとして働きながら、ケンタッキー州デイトンで、フリーメイソンの集会所を改造したザ・ロッジというアート・スペースとその中にあるメソニック・サウンズというレコーディング・スタジオを共同経営していることがわかった(前述のレグのアルバムは、そこでレコーディングされた)。
 
へぇ! ただのブルースやくざじゃなかったわけだ。
 
以前(ソウルダッド・ブラザーズ時代)、ウォーカーにインタビューしたとき、「ERで働いている」と言っていたので、てっきり病院で雑用のバイトでもしているんだばかり思っていたが、当時、医科大学に通っていたウォーカーはトレドとデトロイトを行った来たりしながら、学業とソウルダッド・ブラザーズを掛け持ちしていたのだった!!
 
そして、現在は精神科医として、主に青少年の心のケアに従事しながら、地域のアーティストやインディペンデントなミュージシャンを支えたり、時折、ミュージシャンとしても活動している。
 
なんて、優雅な人生なんだろう。
 
かつて、「いかしたジョニーは泥棒にまぎれた王子さま。自然と盗みたくなるんだってさ」なんて歌っていたウォーカーがね。へぇ!
 
因みにソウルダッド・ブラザーズのドラマーだったベン・スワンクは現在、ジャック・ホワイトとサード・マン・レコードを経営している。
 
やっぱり、人間、のらくら生きてちゃいけないね。

|

英米新人ブルーアイド・ソウル・シンガー対決: Anderson East

Andersoneast

 
英米新人ブルーアイド・ソウル・シンガー対決。アメリカ代表は、アンダーソン・イースト。
 
スタージル・シンプソンやジェイソン・イズベルの作品を手掛け、近年、頭角を現してきたプロデューサー、デイヴ・コブに見出され、コブがエレクトラ・レコード傘下に作った新レーベル、ロウ・カントリー・サウンズの第1弾アーティストとして、今年7月、『Delilah』でメジャー・デビューしたシンガー・ソングライターだ。
 
アラバマの田舎町、アセンズ出身の27歳。
 
実は、これまでに本名のマイク・アンダーソン名義と現在のアンダーソン・イースト名義で1枚ずつアルバムを自主リリースしているから新人とは言えないかもしれないが、全米規模という意味では、まだまだこれからのアーティスト。
 
バプティスト派の牧師を祖父に持つ敬虔なクリスチャンの家庭で育ったため、家でロックやポップスといった、いわゆるポピュラー・ミュージックを聴くことはあまり歓迎されなかったようだが、父が教会の聖歌隊で歌っていたり、母が教会でピアノを弾いていたり、アンダーソンにとって音楽は常に身近なものだったようだ。やがて、友人の影響でポピュラー・ミュージックを聴きはじめたアンダーソンは楽器を演奏したり、自分でも曲を作るようになる。
 
アレサ・フランクリン、エイモス・リー、ローリング・ストーンズが好きだったらしい。「フェイム・スタジオでレコーディングするのが夢だった」と語っているぐらいだから、サザン・ソウルもかなり聴いたにちがいない。
 
高校卒業後、テネシー州マーフリーズボロでサウンド・エンジニアリングを学んだアンダーソンはナッシュビルに移り住み、サウンド・エンジニアやホリー・ウィリアムズのバッキング・ギタリストとして働きながら、自らもシンガー・ソングライターとしてキャリアをスタートした。
 
アンダーソンとデイヴ・コブの出会いがおもしろい。 
 
ナッシュビルの有名クラブ、ブルーバード・カフェでアンダーソンの歌を聴き、たちまち彼の歌声の虜になってしまったデイヴは興奮しながら、ライヴを終えたばかりのアンダーソンに「レコードを作っているんだけど」と話しかけたそうだ。
 
しかし、「ここはナッシュビルだぜ。そんな人間、いくらでもいるじゃないか」と思ったアンダーソンは最初、コブに対してまともに取り合うつもりはなかったようだ。たぶん、これまで何度も胡散臭い話を聞かされてきたのだろう。しかし、コブがちょうどジェイソン・イズベルのアルバムのミックスを始めたところだと聞き、イズベルの大ファンだったアンダーソンは、話を聞いてみてもいい、いや、聞かなきゃダメだと考えが変わったという。
 
『Delilah』のレコーディングはコブのプロデュースの下、ナッシュビルで行われた。往年のサザン・ソウルが持っていたヴァイブを、自分達なりのやり方で蘇らせることがテーマの一つだったことは、できあがったアルバムを聴けば明らかだが、レコーディング終了後、アンダーソンは60年代にサザン・ソウルの名曲を多数生んだアラバマ州マッスル・ショールズのフェイム・スタジオを訪れる機会を得た。
 
その際、フェイム・スタジオのアーカイヴでジョージ・ジャクソン(フェイムの主要ソングライター兼シンガー)が書いた「Find ‘Em, Fool ‘Em and Forget ‘Em」のデモ・テープを見つけたアンダーソンは、その曲をぜひ自分のアルバムに収録したいと思い、カヴァー・ヴァージョンを新たにレコーディング。『Delilah』にはアンダーソンによるオリジナル9曲に「Find ‘Em, Fool ‘Em and Forget ‘Em」のカヴァーを加えた全10曲が収録されることになった。
 
そして、憧れのフェイム・スタジオでライヴ・レコーディングが実現した。
 
 
その時、バンドとともに演奏した「Find ‘Em, Fool ‘Em and Forget ‘Em」をはじめ、『Delilah』収録の5曲は、『Delilah』のリリースに先駆け、『The Muscle Shoals Session : Live From Fame』というタイトルで配信リリースされた。アンダーソン達は自分達が1965年にレコーディングしているような気分を味わえたと、その時の体験を振り返っている。
 
Delilah
Delilah (Low Country Sound / Elektra)

|

英米新人ブルーアイド・ソウル・シンガー対決: James Bay

Jamesbay

出演しているアップル・ミュージックのCMが流れはじめたので、改めて取り上げておきたい。
 
英米新人ブルーアイド・ソウル・シンガー対決。イギリス代表は、ジェイムズ・ベイ。
 
これまでアデル、サム・スミスらが受賞してきたブリット・アウォーズのクリティック・チョイス・アウォード(批評家賞)を受賞するほか、期待の新人と注目されてきたが、今年3月にリリースしたデビュー・アルバム『Chaos and the Calm』は見事、全英No.1ヒットに輝いている。
 
ロンドンの北に位置するハートフォードシャー ヒッチン出身の25歳。
 
子供の頃は家にあったエリック・クラプトン、ローリング・ストーンズ、モータウンのレコードを聴いていた。中でもお気に入りはマイケル・ジャクソンとブルース・スプリングスティーン。コンサート初体験は、15歳の時、ロンドンで見たパオロ・ヌティーニ。デルタ・ブルースのシンガーになりたいと思ったこともあったという。
 
兄達と組んだバンド、ジェット・キングスでリズム・ギターを担当したのち、自分で作った歌を唄いたいと思い、シンガー・ソングライターを目指すようになる。因みにジェット・キングス。その名のとおり、ジェットやキングス・オブ・レオンのようなバンドだったそうだ。
 
高校卒業後、音楽の専門学校に通っていたブライトンでオープン・マイクのライヴに出演しながら修行を積んだのち、ロンドンで歌いはじめたところ、YouTubeにアップしたライヴ映像を見たアメリカのメジャー・レーベルから声がかかり、自分でもクレイジーだと思いながらその1週間後にはニューヨークで契約を交わしていた。
 
プロデューサーにキングス・オブ・レオン他を手掛けてきたジャクワイ・キングを迎え、ナッシュビルでレコーディングした『Chaos and the Calm』はレーベルの意向なのか、ベイの志向なのか、ソウルフルな歌声とカラッとしたロック・サウンドの組み合わせがおもしろい作品になっている。
 
 
そんなサウンドに加え、アルバム・リリース前にZZ・ワードやホジアーのサポートとしてアメリカをツアーした成果だろう。『Chaos and the Calm』はアメリカでも全米15位というヒットを記録した。
 
グラミーの新人賞は確実――そんなことも言われている。その人気はまだまだ盛り上がっていきそうだ。
 
Calmandchaos
Chaos and the Calm (Republic)

|

NYの新進バンド、Jeremy And The Harequinsの意外な過去

Jeremyandtheharlequins_2

長いこと、音楽を聴いていると、思いがけない“再会”にびっくりすることがある。
 
ちょっと前に見つけ、ずっと気にしていたニューヨークの5人組、ジェレミー&ザ・ハーレクインズ。
 
彼らがマット・ヴェルタ・レイ(スピードボール・ベイビー、ヘヴィ・トラッシュ)と彼のスタジオ、N.Y. HEDで作ったデビュー・アルバム『American Dreamer』をついに手に入れた。
 
これが期待していた以上にかっこいい。
 
50年代のロックンロールや60年代のポップスの影響を受けながら、様式美の追求に逃げず、純粋に、いい曲を作っているところがいい。自ら掲げる“クラシックなアメリカン・ロック”のファンに止まらない幅広いリスナーから受け入れられるにちがいない。
 
実際、『American Dreamer』を聴き、僕が連想したのはジーン・ヴィンセント、ナンシー・シナトラ、ロネッツといった50~60年代の人達ばかりではなく、ヴァクシーン、フラテリス、それにデヴィッド・ボウイだった。
 
 
がぜんジェレミー&ザ・ハーレクインズに興味が湧き、どういうバンドなんだろうと調べてみたら、なんとヴォーカルのジェレミー・フューリーと弟のスティーヴィー(ドラムス)が、かつてオハイオでデヴィッド・ボウイの影響が色濃いウィー・アー・ザ・フューリー(We Are The Fury)というグラマラスなパンク・バンドをやっていたことが判明し、思わず、うわっと声を上げてしまった。
 
Wearethefury
 
なぜなら、そのウィー・アー・ザ・フューリー。07年のSXSWでたまたまライヴを見てすっかりヤラれてしまい、彼らがインディーからリリースした『Infinity Jest』というEPの日本盤のライナーノーツを書かせてもらったことがあったからだ。
 
 
その年の5月、ウィー・アー・ザ・フューリーはメジャー・レーベルから『Venus』というアルバムをリリース。それなりに注目されたにもかかわらず、その後、レーベルの閉鎖にともなって、レーベル契約を失ったことをきっかけに活動がストップ。ジェレミーはヘッド・オートマティカ(このバンドも好きだった)のギタリストだったクレイグ・ボニックとローマンズをスタート。その活動が現在のジェレミー&ザ・ハーレクインズに発展した……ということらしい。
 
久しぶりにウィー・アー・ザ・フューリーのCDをひっぱりだしてきて聴いてみた。改めて、いいバンドだったと実感。それと同時にサウンドやスタイルは変わっても、ジェレミーが作る音楽が芯の部分では、その頃と変わっていないことがわかった。
 
芯の部分とは、もちろんデヴィッド・ボウイの影響ではない(いや、それも少しあるけど)。純粋に、いい曲を作ろうとしている(そして、実際に作っている)ところだ。
 
昔、好きだったバンドのメンバーが音楽を続けていることがわかってうれしい。こういう“再会”ならいつでも大歓迎。
 
因みにジェレミー&ザ・ハーレクインズはすでにマット・ヴェルタ・レイと新しいアルバムのレコーディングを始めている。彼らの今後の活躍に期待している。
 
Jeremyandtheharlequinsjkt
American Dreamer (Harlequins)

|

Benjamin Bookerが語るジャズでもファンクでもないニューオーリンズのミュージック・シーン

Benjaminbookercolor

 
フジロック・フェスティバル2015における熱演が記憶に新しいベンジャミン・ブッカーが今年2月、初めて日本にやってきたとき、おもしろいことを教えてくれた。
 
なんでも、彼が現在、拠点にしているルイジアナ州ニューオーリンズではハリケーン・カトリーナ以降、全米各地からニューオーリンズに移り住んできたミュージシャンによって、ジャズでもファンクでもないルーツ・ミュージック・シーンが活況を呈しているという。
 
その筆頭がアラバマ・シェイクスのツアー・サポートを務めたことと昨年、ATOからリリースした『Small Town Heroes』によって、ついに全米規模の注目を集めたフレイ・フォー・ザ・リフ・ラフ(HURRAY FOR THE RIFF RAFF)のアリンダ・リー・セガーラだ。
 
 
Hurrayfortheriffraff
 
ニューヨークのブロンクスで生まれ育った彼女はアーニー・ディフランコ、ビキニ・キルといったミュージシャン/バンドに加え、詩人のオードリー・ロード、政治活動家のアンジェラ・デイヴィス、女優のラヴァーン・コックスらの影響の下、自我に目覚め、17歳で家を飛び出すと、ヒッチハイクと貨物列車で全米各地を放浪しながら、やがて路上を主な活動場所としているフォーク/ブルーグラス・バンド、デッドマン・ストリート・オーケストラにウォッシュボード奏者として加入。
 
その後、07年、19歳の時にバンドのホームタウンであるニューオーリンズに辿りつくと、自らフロントに立ち、フォーク/ブルーグラスをベースにR&Bや古いジャズにもアプローチするバンド、フレイ・フォー・ザ・リフ・ラフをスタートした。
 
アラバマ・シェイクスのブリタニー・ハワードが客演
 
その後、アリンダが続けてきた活動が『Small Town Heroes』をきっかけに花開いたことはすでに書いたとおりだが、一時期、そのフレイ・フォー・ザ・リフ・ラフに参加していたサム・ドアーズも高校卒業後、ウディ・ガスリーとジャック・ケルアックに憧れ、アメリカ各地を放浪した経験の持ち主だ。
 
彼がなぜニューオーリンズに辿りついたかその経緯はわからないが、アリンダに出会ったことをきっかけにニューオーリンズで音楽活動を始めると、いくつかのバンドを経験してから、10年にオクラホマで開催されたウディ・ガスリー・フェスティバルで知り合ったライリー・ダウニングとタンブルウィーズを結成。ライリーはサムと出会う以前は、ミズーリの農場で働いていたそうだ。
 
サム・ドアーズ+ライリー・ダウニング&ザ・タンブルウィーズ名義で『Hot Cross Blues』というアルバムをリリースしたのち、同名バンドがスウェーデンにいることがわかったため、彼らはメンバー・チェンジを機にメンバーが住んでいた通りの名前に因んでデスロンズ(THE DESLONDES)に改名。
 
Thedeslondes
 
今年6月、ニュー・ウェスト・レコードからセルフタイトルのアルバムをリリースした。カントリー、R&B、ロックンロール、それにラグタイムの影響が絶妙に入り混じるサウンドは、フレイ・フォー・ザ・リフ・ラフのアルバム同様、ベンジャミン・ブッカーが言うジャズでもファンクでもないルーツ・ミュージック・シーンの活況を想像させるものだった。
 
 
そして、大学卒業後、NPO団体の仕事を得て、ニューオーリンズにやってきたベンジャミン・ブッカーを歓迎したのがアリンダとサムだった。
 
Benjaminbooker
 
その後、ATOがベンジャミンに契約を申し出たとき、ベンジャミンはすでにフレイ・フォー・ザ・リフ・ラフのアルバムをリリースしていたATOに興味を持っていたため、契約はスムーズにまとまった。
 
 
日本にもやってきたベンジャミンをはじめ、アリンダのフレイ・フォー・ザ・リフ・ラフもサムのデスロンズも今では、アメリカ国内だけに止まらない活動を始めたため、ニューオーリンズでライヴをやることのほうが少なくなってしまったそうだが、ミューオーリンズは元々、音楽の盛んな町だ。彼らの活躍に刺激され、以前のニューオーリンズ・カラーに染まらないおもしろいバンドがもっともっと現れるかもしれない。
 
それも含め、ニューオーリンズ・シーンにはこれからも注目していきたい。

|

« 2015年5月 | トップページ | 2016年1月 »