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ザ・ライオット・ビフォア インタビュー

J.ロビンズと新作を完成させた熱血パンク・バンド

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ヴァージニア州リッチモンドの熱血パンク・バンド、ザ・ライオット・ビフォア。

結成以来、真摯な態度と並々ならぬ情熱とともに続けてきた精力的な活動が認められ、アメリカのパンク・シーンで、この2年ほどの間にめきめきと頭角を現してきた。

彼らが注目されるきっかけは地元のインディー・レーベル、セイ・10・レコードから08年にリリースした2ndアルバム『Fists Buried In Pockets』だった(あるいはブロードウェイ・コールズとリリースしたスプリットだったか?)。ちょうどそのとき、アメリカではショウビズの世界からパンク・ロックを、自分達の手に取り戻そうという気運が高まりつつあった。フォーキーともブルージーとも言える味わいも持ち合わせていた彼らは、そんなパンクの回帰運動を担う存在としても歓迎された。

今年4月、バンドはレス・ザン・ジェイクのドラマー、ヴィニー・フィオレロのレーベル、ペーパー+プラスティックから3作目のアルバム『Rebellion』をリリース。プロデューサーのみならず、エンジニアとミキサーも務めたJ.ロビンズと完成させた、その最新アルバムではロビンズ印のゴツゴツと尖がったサウンドとともにバンドのスケールアップを印象づけ、さらなる注目を集めた。

サンフランシスコのナッシングトン、ナッシュヴィルのブラックリスト・ロイヤルズとUSツアーを終えたばかりのバンドを代表してフロントマンのブレット・アダムズ(Vo, G)にインタビュー。その饒舌ぶりからもバンドに賭ける彼の情熱は伝わるはずだ。

●ライオット・ビフォアは、どんなふうに始まったんですか?

「最初は03年頃、俺がカレッジに通っていたカリフォルニアのサンタバーバラで始めたんだ。そのバンドは計6回、俺が通っていたのとは別の、近所にあるカレッジのパーティーでライヴをやっただけなんだけど、メンバーにしてもサウンドにしてもダイナミックさに欠けていた。それに俺が思い描いていた音とは何かが違っていた。
 悪くはなかったんだよ。ただ、正しくなかったんだ。で、メンバーを追い出すのではなく、俺は別のバンドに加わるという大人気ないことをやって、バンドの練習のスケジュールを組まなかった。結局、他のメンバーはそれを知って、バンドは解散してしまったんだ。
 その6ヵ月後、俺はライオット・ビフォアを再び始めた。ただ、その時はバンドを組む前にデモテープを作ろうと思い、俺が作った曲をレコーディングしたんだ。そのデモはその後、『Horseshoes And Hand Grenades』と題した1stアルバムのレコーディングにつながったんだけど、俺がギターを弾きながら歌い、友人のスティーヴがドラムとベースを演奏したんだ。
 それから数ヵ月後、俺はヴァージニア州リッチモンドに引っ越したんだ。それがまさに3度目の正直だった。リッチモンドで俺はバンドに専念することにした。数ヵ月かけて、固定メンバーを見つけ、できるかぎりツアー活動に取り組んだ。最初のライヴからもう4年以上経つよ。俺達はこれまでに400回以上のライヴをやってきたんだ」

●なぜ、カリフォルニアからリッチモンドに引っ越したんですか?

「05年の春、カレッジを卒業することになって、俺は卒業後の身の振り方について、いろいろ決断しなきゃいけなかった。結局、俺は数年の間は自分が作りたいと思う曲を作りながら過ごそうと考えた。ただ、カリフォルニアでそれをやろうとは思わなかった。だって、カリフォルニアには俺の嫌いなタイプのバンドしかいなかったからね」

●嫌いなタイプと言うと?

「イメージとコネばかり追求している、音楽的には薄っぺらい連中だよ。俺は多くのバンドが気取ったプレス写真を撮ることやマネージャーを雇うことに時間を費やしている姿を見てきた。連中は注目されようと必死になっていたよ。連中は自分達がいつも語っているような音楽なんて演奏していなかった。
 そんなのナンセンスだろ。
 関心を持ってもらうには、まず関心を持ってもらえるような曲を作らなきゃ。お客さんの気持ちは金では買えない。信頼してもらうしかないんだ。
 別にパンク・バンドをやっているから、そんなことを言っているわけじゃない。これは個人的な話だよ。自分のやってきたことを振り返ったとき、キャリアの長さよりも、その中身を誇りに思えるようなことをやりたいんだ。
 物語を作ることやそれを語ることに興味があったから、カレッジでは文学を専攻したんだけど、俺はいつの間にか文学よりもバンド活動に夢中になってしまったんだ。俺の人生において、音楽が一番重要なものになった。だから、真剣にバンドをやろうと思ったとき、安っぽいバンドだけはやりたくないと考えた。それならカリフォルニア以外じゃなきゃダメだと思ったよ。ただ、物価が安くて、ツアーに出たときガソリン代を抑えるために、いろいろな街に近くて、それなりに音楽シーンがあるようなところじゃないとダメだった。候補としていろいろな街を検討した結果、あらゆる条件を満たしているリッチモンドに決めたんだ。
 それだけで十分だった。そこがどんなところなのか知る必要はなかったよ。俺は全財産を車に積んで、リッチモンド目指して3、000マイルのドライヴに出たんだ。もう5年前の話だよ。今思えば、それはたぶん俺がこれまでしてきた中で最良の決断だったんじゃないかな」

●リッチモンドで新たにバンドを始めたとき、どんなバンドにしたいと考えていたんですか?

「もう1枚目のアルバムをリリースしていたからね。バンドのスタイルや方向性という意味では、すでに基礎は出来上がっていた。
 俺は生まれつきのギタリストってタイプじゃない。正直、ギターは苦手なんだ。ギターを習得するには俺には忍耐が足りなかった。だから、バンドを始めたとき、自分が何を演奏するかってことは、そんなに意識していなかった。
 自分はギターが下手だってことがわかっていたからね。バンドを始めたときもテクニックでファンを魅了しようとは思わなかった。テクニックを磨くかわりに俺は人々が共感できる説得力と熱心さを持った曲を作ることに力を入れてきた。そうすれば俺達が持っているハンディキャップを乗り越えられると期待していたんだ」

●ライオット・ビフォアというバンド名はどこからつけたんですか?

「長いこと、大音量を出せるギター・アンプを持っていなかったんだ。俺が持っていたアンプは小さな練習用のアンプだった。それじゃドラムの音にかき消されてしまうような音しか出せなかった。バンドを始めるには、もっとパワーのあるアンプが必要だったんだ。
 だから、アンプを買うために働いて、金を貯めはじめた。だけど、ちょうどアンプを買えるだけの金が貯まった頃、車が故障したため俺の銀行口座は空っぽになってしまって、また一から始めなきゃならなかった。とても落胆したよ。
 カレッジに2年通った後、俺は渋々、夏の間、家を離れて、アンプを買えるだけの金を貯めるという希望を抱いて、農場で働いたんだ。あの頃はフルーツを箱に詰めながらいつもバンドで演奏している自分の姿を想像していた。あのフルーツは確か日本に出荷されたんじゃなかったかな(苦笑)。
 大勢の人の前で演奏することを夢見ながら、俺はそこを離れようと何年もがんばってきた小さな町の農場でこき使われていた。働きづめで疲れていた。欲求不満もたまっていた。とにかく音楽を演奏したかった。暴動を起こせそうな気がしたよ。俺の気持ちは、まさに不正に対する怒りを吐き出せずにいる群衆のそれだった。
 人間は何かを変えたいと思う気持ちや目的を達成したいという欲求から暴動を起こすんだ。その時の俺は気持ちのうえでは、もう暴動を起こしたも同然だった(It riots before.)。そして、思ったんだ。アンプを手に入れることができる金を貯めたら、ライオット・ビフォアという名のバンドをやろうってね」

●ところで、どんなバンドやアーティストに影響を受けてきたんでしょうか?

「俺達の、特に初期の曲を聴いてもらえれば明らかだと思うんだけど、最も影響を受けていると言ったら、アゲインスト・ミー!だろうね。彼らの"Impact"って曲を初めて聴いたときは、ぶっ飛んだよ。 だって、ヴォーカルのトム(・ゲイベル)は歌い終わったら死んでしまってもかまわないってくらいの気迫で絶叫していたんだからね。そのとき、ああ、俺はこういうことをやりたいんだって思ったよ。
 何年もパンクを聴いてきたけど、その瞬間、全てが変わった。アゲインスト・ミー!の曲が、野心と言うにはあまりにも曖昧だった俺の気持ちにはっきりした方向性を与えたんだ。
 ボブ・ディランがウディ・ガスリーを初めて聴いたとき、ガスリーの存在がいかにディランに刺激を与えたか何かで読んだことがあるんだけど、確かにディランの最初の何枚かのレコードは、ガスリーの影響が明らかだよね。そういう時代を経て、ディランは自分自身の歌声を見つけると、多くの人に影響を与えると同時に真似されるような曲を書きはじめたんだ。たとえばブルース・スプリングスティーンはまさにそんなディラン・フォロワーの一人だよ。
 アゲインスト・ミー!は、俺にとってウディ・ガスリーみたいな存在なんだ。あ、いや、もちろん自分がボブ・ディランだなんて言ってないぜ。
 でも、ライオット・ビフォアにしてもアゲインスト・ミー!にしても、現在は"Impact"の頃とは全然違うサウンドになっているところが、俺はとてもクールだと思うんだよ」

●ライオット・ビフォアのことをフォーク・パンクと呼ぶ人達もいますね?

「別にかまわないよ。だって、みんなはフォーク・パンクって言葉を軽蔑の意味で使っているわけじゃないだろ。ただ、俺は単にフォーク・パンクって言葉だけで、俺達のバンドを言い表せるとは思ってはいないけどね。
 俺は自分のバンドを、他のバンドとは全然違うものにしたいと思った日から、いろいろなサウンドを出せるようになりたいと考えてきた。さっきアゲインスト・ミー!に最も影響を受けたと言ったけど、俺達が影響を受けたのは、決してそれだけじゃない。俺達が受けてきたさまざまな影響をバンドの音に反映させたかったんだ。だってメンバーが4人もいれば、受けてきた影響はより幅広いものになるはずだろ。
 自分のバンドに何かジャンルを表すようなレッテルは貼りたくない。一度、そういうレッテルを貼ってしまったら、バンドのサウンドは狭まってしまうような気がするんだよ。
 とは言え、みんなレッテルを貼るのが好きだよね。それはしたかない。だけど、たとえパンクというレッテルを貼られたからって、俺はパンク・バンドになるつもりはない。もちろん、それはフォークだって同じことだよ。俺はただ、いい曲を作りたいだけなんだ」

●新しいアルバムの『Rebellion』について聞かせてください。前作『Fists Buried In Pockets』との違いは、どんなところでしょうか?

「俺達は『Rebellion』を作ることで、自分達のサウンドを確立できたんだ。『Rebellion』では俺達が受けてきた影響がはっきりと表れていると思うんだけど、それと同じぐらい俺達らしさも表れている。言ってみれば、『Rebellion』はライオット・ビフォアが初めて作った代表作なんだよ。とてもわくわくするよ。
 もちろん、前作から劇的に変わったわけじゃない。だけど、バンドが自分達のサウンドに自信と確信を持った結果にはちがいないと思うんだ。
前作を作ったときは、前のギタリストが突然止めてしまったせいで、スタジオに入るわずか2ヶ月前に新しいギタリストを入れなきゃいけなかった。新ギタリストのジョン(・グリーリー)はすぐに曲を覚えて、レコーディングまでに自分のパートを考えなきゃいけなかった。俺達と一度もライヴを経験することなしにね。
 でも、それからずっと同じメンバーでやってきた。しかも、たくさんのライヴもやってきたし、同じ音を共有するために多くの時間を一緒に過ごしてきた。そういうやりかたで形になったものが『Rebellion』の新しい曲とサウンドなんだ」

●『Rebellion』のレコーディングでJ.ロビンズをプロデューサーに起用した理由は?

「何人かの候補に打診するとき、俺達はバンド全員の希望としてJの名前を挙げたんだ。だけど、まさか彼とレコーディングできるとは全然考えてなかったけどね。
 だから、俺達は彼が俺達とレコーディングすることに同意してくれたとき、とても驚いたよ。彼はすごい経歴の持ち主で、俺達全員が大好きなレコードをたくさん手掛けてきた。しかも、ジョーボックスとバーニング・エアラインズという素晴らしいバンドのメンバーだった。レコーディングしている間中、俺達全員、ソングライターとしてもすごい才能を持っている人と同じスタジオにいることに興奮したし、俺達の曲を最高の形にする方法をアドバイスしてもらえるんじゃないかって期待したよ。
 彼が手掛けてきたレコードはすべて、90年代のグランジが持っていた美学を捉えた確固たるサウンドを持っていた。エネルギーと音の精度という1枚のレコードに封じ込めることが難しい要素を、同時に捉えるノウハウを持っているんだよ。レコーディングしている間、彼のやることは常に俺達の期待をはるかに上回っていたね。俺達全員、レコードを作る過程と完成した作品の両方にとても満足しているよ」

●前作には、フォーキーな「Words Written Over Coffee」という曲が収録されていたけど、新作では、そういうフォーキーな曲はやっていませんね?

「意識してそうしたわけではないんだ。『Rebellion』にそういう曲が収録されていない理由は、ただ、今回はたまたまそういう曲を書かなかったというだけだよ。
 俺達はソングライターとしては、決して多作なほうではない。実際、今回、アルバムには10曲収録したけど、俺達が作った曲は全部で11曲だった。
 曲は俺の頭の中の、どこかの部分の賜物だと思っているんだけど、去年、そこからフォーク・ソングは生まれなかった。もちろん、フォークっぽい曲はまだ好きだし、『Rebellion』にそういう曲が入ってないからって、これからもずっとそのままというわけではない。ただ、今はね、これまでのアルバムよりも一貫してヘヴィーな『Rebellion』が気に入っているんだ。そういうサウンドがまだ始まったばかりの俺達のディスコグラフィーの中で、『Rebellion』ってアルバムを際立たせていると思うしね」

●アルバム・タイトルの『Rebellion』(=反逆)とは何に対する反逆なのでしょうか?

「09年の3月、俺はドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』の中の有名な『大審問官』(The Grand Inquisitor)をもう一度読み直そうと考えていた。その本を読んでからもう何年も経っていたから、その章に感銘を受けたことは覚えていたけど、それが何について書かれていたかについてはすっかり忘れてしまっていたんだ。
 それで、前後関係を改めて把握するため、その章の前にある『反逆』(Rebellion)って章から読みなおそうと考えた。そこでは登場人物の一人であるイワンが信じられないくらい動機づけされ、信仰を持たずに生きることと神の存在を信じることが決して矛盾しない考えであるという理に適った主張をしていた。
 イワンは、こう言うんだ。『おれは神を受け入れないわけじゃない。おれはたんにその入場券を、もう心からつつしんで神にお返しするだけなんだ』。それに対して、イワンの兄弟、アリョーシャが『反逆ですね』と答えると、イワンは今度はアリョーシャに、こんなふうに言うんだ。『反逆だって? おまえがそんな言葉を吐くとねえ。反逆なんかで生きていけるのか、おれは生きたいんだぞ』ってね。
 その最後の文章を読んだとたん、俺は俺達のバンドが次に作るレコードは何らかの形で、それに言及したものになるだろうと悟ったんだ。
 それから何ヶ月も俺は『反逆なんかで生きていけるのか、おれは生きたいんだぞ』という文章が何を意味しているのか考え、答えを見つけるために評論を何百ページも読んだよ。そして、反逆の中に創造はない、ただ拒絶があるだけだという結論を見出した。
 確かに場合によっては、あらゆることにノーということは大切だ、特に若いときはね。だけど、少なくともそれをライフスタイルにするべきではないんだ。ノーと言いつづける人生は、とても困難なものになるだろう。
 個人的なことを言えば、27歳の俺にはこれは響いたね。俺はずっと自分の中に反逆心を持っていたからね。しかも、この数年、俺は信仰を持っていなかったため、ちょっとした苦しみの状態にあった。俺の反逆心は俺を意地の悪い、とても頑固な冷笑主義者にしたんだ。しかし、本当のチャレンジは拒絶の中にはないということに気づいてから、俺は自分にふさわしいチャレンジが何であるか探しはじめたんだ」

●ペーパー+プラスティックとはどんないきさつで契約したんですか?

「『Fists Buried In Pockets』をリリースして少し経ってからペーパー+プラスティックのオーナー、ヴィニー(・フィオレロ)から『Fists Buried In Pockets』を気に入っているという手紙を貰ったんだ。とても光栄だったよ。だからお礼の返事を書いたんだ。すると、その数ヵ月後、彼がまた手紙をくれた。そこには彼がどれだけ『Fists Buried In Pockets』を気に入っているかということが書かれていた。それで俺達はまた返事を書いて、今度は『将来、俺達のレコードをリリースすることに興味はあるかい?』と尋ねてみたんだ。すると、ヴィニーは大いに興味があるよと言ってくれたんだ」

●最後の質問です。ライオット・ビフォアにとってゴールとは?

「とても単純だよ。みんなのために音楽を演奏しつづけることだよ。近い将来、日本でも演奏できたらいいね。もし実現したら、そんなに素晴らしいことはないよ。俺達はこのバンドを続けるためにデイジョブを持っているんだけど、音楽だけで食べていけるようになれたら言うことはないね。それがもう一つのゴールかな。とにかく俺達は、みんなのために演奏するのが大好きなんだ。そして、人々が俺達の音楽を聴くことを楽しんでくれるなら言うことはないね」

Rebellion

Rebellion / The Riot Before (Paper+Plastick PP0042)

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