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2009年11月

COBRA STARSHIP interview

楽しむことに大真面目に
取り組んできた活動が
ついに全米規模の成功に結実

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ミッドタウン解散後、ゲイブ・サポータが始めたコブラ・スターシップを、多くの人が何かのジョークか、1回限りの企画モノのプロジェクトだと考えた。しかし、その後、コブタ・スターシップは精力的に活動を続け、最新3rdアルバム『ホット・メス』でついに全米ブレイクを成し遂げてしまった。

「コブラ・スターシップはまだバンドだぜ」

『ホット・メス』のブックレットに記された、この一文にはきっとコブラ・スターシップを誇りに思うゲイブの気持ちがこめられているにちがいない。

そのゲイブが全米4位を記録した最新作について語ってくれた。

●新作『ホット・メス』はR&B/ヒップホップ色が濃かった前作と比べると、再びロック寄りの作品になりましたね。新作を作るにあたっては、どんな作品にしたいと考えていたんですか?

「まるでiPodをシャッフルして、いろいろな曲を聴いているような、そんなアルバムを作りたかったんだ」

●アメリカで大ヒットしたシングル「グッド・ガールズ・ゴー・バッド」には『ゴシップガール』のレイトン・ミースターが参加していますね。ゲイブが『ゴシップガール』のファンだとはちょっと考えづらいんですけど、彼女の参加はどんないきさつで実現したんですか?

「実は俺達、『ゴシップガール』の大ファンなんだ。本当はチャック・バス(自己チューのナルシシスト)が好きなんだけど、チャックを演じているエド・ウェストウィックは忙しかった。そこで、スケジュールが空いていたレイトンと一緒にやることにしたんだ(笑)」

●2曲目の「ピート・ウェンツ・イズ・ジ・オンリー・リーズン・ウィア・フェイマス」というタイトルに思わずニヤリとなるファンは多いんじゃないですか?

「フフ。俺達は有名じゃないけど、ピートはいい奴だしね。だって、奴はコブラ・スターシップをずっとサポートしつづけてくれただろ。ただ、このタイトルはどこかのガキがネットに書き込んだコメントを、そのまま使わせてもらったものなんだけどね」

●曲のタイトルから判断するかぎり、新作は皮肉に満ちた作品のようですね。

「俺達はあまり真面目にならないようにしているんだ。楽しめるようにね。俺達はそういうヴァイブを聴く人にも届けたいと思っているのさ」

●現在の若いバンドの間ではR&B他のダンス・ミュージックの影響を取り入れることがちょっとした流行になっているけど、そういうサウンドに先鞭をつけたのはコブラ・スターシップでしたよね。

「俺達は自分達の受けた音楽的影響を恥ずかしげもなくさらけ出しているのさ。バンドの他のメンバーも俺も80年代や90年代の音楽に影響を受けているんだ。ヒップホップとダンス・ミュージックはその時代、ビッグだったからね。現在は、ありとあらゆるものをブレンドしているって感じがするね」

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ホット・メス/コブラ・スターシップ(ワーナー WPCR-13723)

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ミュートマス@O-East 11月18日(水)

最強のライヴ集団と謳われる
4人組の単独来日ツアーが
ついに実現

即効性抜群のキャッチーなフックを持ったポップ・ソング。 

ジャズの影響も窺わせるずば抜けた演奏力。

肉体が躍動するアクロバティックなパフォーマンス。

そしてテクノロジーも駆使したプログレッシヴな志向。

ニューオリンズ出身の4人組ミュートマス初の単独来日公演は、それらが一つになって、バンドの魅力を大胆に描き出した素晴らしいライヴだった。

1曲目の「ザ・ナーヴ」から大合唱でバンドを迎えたファンの反応も素晴らしかった。

満員の観客がバンドと一緒になって歌う様子が何度も見られるなど、日本における彼らの人気と浸透度の高さを、改めて実感できた。

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写真は06年10月にメンフィスで観た時のもの。

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アーミスティス/ミュートマス(ワーナー WPCR-13559)

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JEFF CAUDILL interview

遅れてきたオルタナ・カントリー・シンガーにして、
早すぎたフォーク・パンク・シンガー、
ジェフ・コーディルがソロ第2弾アルバムをリリース!

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ジェフ・コーディル。

今で言うエモメロの走りとして、その後のパンク・シーンの顔になる少なくない数のバンドに影響を与えたゲームフェイスの元フロントマン。

10年以上にわたるバンド活動に終止符を打ち、03年にソロ・キャリアをスタートさせ、よりパーソナルな曲を作りはじめたとき、コーディルの中から出てきた音楽は、物心ついた時から聴いていたフォーク/カントリーやアンクル・テュペロ他、いわゆるオルタナ・カントリー・バンドからの影響が表れたものだった。

遅れてきたオルタナ・カントリー・シンガー、あるいは早すぎたフォーク・パンク・シンガー――。
 
そんなふうにコーディルのことを紹介することもできるだろう。

この11月、日本盤がリリースされた『トライ・トゥ・ビー・ヒア』は、4年ぶりとなるソロ第2弾アルバム。
 
アメリカではリプレイスメンツ、R.E.M.、ライアン・アダムスなどにたとえられているようだ。しかし、個人的には疾走感とともにアメリカン・ロックのトラディションを湛えたロック・ナンバーの数々を聴き、ジン・ブロッサムズを思い出した。

ゲームフェイスのファンはもちろん、多くのアメリカン・ロック・ファンにも、ぜひ聴いてほしい1枚である。

●あなたが以前やっていたバンド、ゲームフェイスは、ここ日本でも少なくない数のファンから支持されていましたね。

「ゲームフェイスについては、いい思い出しかないよ。あのバンドは10年以上にわたって、僕そのものだったんだ。僕の青春時代の象徴さ。僕らが作ってきた音楽には、とても誇りを持っているよ。まだまだアンダーグラウンドだったパンク・シーンで活動を始められたことはラッキーだった。あの頃、音楽はまだ純粋で、音楽を楽しむことだけがバンド活動の全てだったんだ」

●なぜ、ゲームフェイスは解散してしまったんですか?

「13年経って、違うことをやる時が来たと感じたからさ。音楽的に僕らは僕らにできることを全てやり尽くしてしまったんだ。18歳の時、僕らはバンドを始めた。そして、いつの間にか、責任ある大人に成長していたんだ。ゲームフェイスを続けるという選択肢は、僕らには残されていなかった。ゲームフェイスを解散してからだって、もちろん音楽を続けようとは考えていたけど、でも、それはバンドとしてではなかったんだよね」

●では、ソロ・キャリアを始めたとき、どんな音楽を演奏しようと考えていたんですか?

「ゲームフェイスが解散してから、僕はバンドをやっていたとき以上に曲を作りはじめたんだ。もちろん、その頃はバック・バンドなんていなかったから、アコースティック・ギター1本でたくさんの曲を作ったよ。その多くはバンドの解散について歌った内省的で悲しい曲だった。僕はフォーク・シンガーになったのさ。その時、僕はR.E.M.とかアンクル・テュペロとかウィスキータウンとか、いわゆるオルタナ・カントリーと言われている音楽ばかり聴いていた。実はそういうスタイルの音楽がずっと好きだったんだ。ゲームフェイスをやっていた時でさえ、アンクル・テュペロやバッファロー・トムを聴いていたよ。カントリー・サウンドを持ったロック・バンドをね」

●現在、あなたがやっている音楽に最も影響を与えたアーティストと言うと?

「ボブ・モウルド、ライアン・アダムス、ジェフ・トゥイーディー、レット・ミラーといった人達はいまだに好きだよ。彼らはみんな多作で、特に歌詞がいいんだ。やっぱり、歌詞はとても重要だよね。それからグリーン・デイ、スローン、デス・キャブ・フォー・キューティーといったパワー・ポップも大好きだよ」

●ソロ・アーティストに転向したとき、曲の作り方って変わりましたか?

「いや、それほど変わったとは思わないな。変わったのは、曲をどんなふうに完成させるかってことだよね。ゲームフェイス時代、僕の音楽スタイルはかなり限られていた。僕らはポップ・パンク・バンドで、実際、僕らがやっている音楽はポップ・パンク以外の何物でもなかった。だけど、ソロ・アーティストになってから、僕は多くの異なる音楽スタイルを試しながら、いろいろな楽器を使うことができるようになったんだ。僕はギターとドラムだけのサウンドにこだわっているわけではないんだよ。アコースティック・ギターを使って、同じように曲を作っているけど、今、僕は自分が書いた曲を、どんなふうにでも作り上げることができるんだ」

●今、ライヴをやると、お客さんはどんな人達が多いですか?

「音楽を聴きたいと思っている人達さ!(笑) 音楽シーンや何がクールかなんてことは全然気にしない僕と同世代のおじさん達だよ(笑)。彼らは、ただ音楽を聴くためだけにライヴに来るのさ」

●さっきゲームフェイスをやっている頃からアンクル・テュペロやバッファロー・トムを聴いていたと言っていましたけど、そういうバンドからの影響はゲームフェイスの音楽に反映されていたんでしょうか?

「後期のアルバムには多少反映されていたかもしれないな。曲はほとんど僕が作っていたし、若干、そういう方向にも進んでみようと考えていたしね。そうそう、僕の歌には南部訛りがちょっとあって、カントリーを歌ったらすごくハマるよなんて言う人もけっこういたっけ。もっとも、それが本当かどうかはわからないけどさ(苦笑)。物心ついた頃から、フォークやカントリーを聴いていたから、知らず知らずのうちに影響されていたのかもしれないね」

●この数年、多くのパンク・ミュージシャンがアコースティック・ギター片手にフォーク・ソングを歌いはじめましたよね。フォーク・パンク・ムーヴメントとマスコミが名づけたそんな動きは日に日に大きくなっていますが、それについてはどう思っていますか?

「どうだろう? 僕自身は決して、そういうスタイルの音楽を演奏しようとはっきりと意識して始めたわけではなく、僕の人生において、その時、僕が正しいと感じたことをやり始めただけだからね。たぶん、僕と同じように成長してきたパンク・ミュージシャンが多いってことじゃないかな。パンクとフォークはスピリットという意味では、とても似ているんだ。サウンドは全然違うけど、歌詞やそこで歌われているストーリーは同じなんだよ。以前、バッド・レリジョンのグレッグ・グラフィンがアイディアと精神という意味でなら、バッド・レリジョンはフォーク・バンドだと言っていたよ。僕が大好きな音楽にも同じことを感じるよ。それに多くの成長したパンク・ミュージシャン達がサウンドはどうあれ、彼らにとって意味のある音楽をいまだに作りつづけているって事実は単純にうれしいよね」

●90年代半ばに盛り上がったオルタナ・カントリー・ブームからも影響を受けたようですね。

「ああ。僕はずっとアンクル・テュペロや、彼らと同じシーンから出てきた全てのバンドのファンだった。中でもウィルコ、サン・ヴォルト、オールド97'sからは大きな影響を受けているよ」

●パンク・ロックって最近でも聴きますか?

「それなりにね。新しいバンドを全てチェックしているわけではないけど、何組か大好きなバンドはいるよ。中でもガスライト・アンセムは最近の新しいバンドの中ではダントツの存在だと思うし、ホールド・ステディーもいいよね」

●新作『トライ・トゥ・ビー・ヒア』は、どんな作品ですか?

「大好きなレコードさ! 僕の家族に捧げたという意味で、僕の真心そのものなんだ。ほとんどの曲が妻と5歳の娘とともに過ごすことの大切さについて歌っている。音楽は常に僕の人生の大部分を占めてきたけど、同時にそれは僕と家族を離れ離れにさせてもきた。今回、僕は家族とともに過ごすことを称えるレコードを作りたかったんだよ。アルバムの大半の曲は僕のバッキング・バンドとレコーディングした。彼らはみんな素晴らしいミュージシャンであると同時に大切な友人でもあるんだ」

●もしドリーム・バンドを組めるとしたら、メンバーとして誰を選びますか?

「うわ。難しい質問だな(笑)。そうだなぁ……まず、ギターはウィルコのネルス・クラインとビルト・トゥ・スピルのダグ・マートシュ。ドラムはデイヴ・グロールに頼みたい。で、インキュバスのベン・ケネディーがベースで、エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズのスティーヴ・ニーヴがキーボードで、どうだい? きっとへンテコなサウンドになるだろうな。でも、今、僕が共演したい人達なんだからしかたない!(笑)」

●来年の1月には来日公演の予定もあるそうですね。

「そうなんだ! 初めての日本だからね、今からワクワクしているんだ。みんなに会えることを楽しみにしているよ!」

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トライ・トゥ・ビー・ヒア/ジェフ・コーディル(ブリオン BLLN-113)

 

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DIE MANNEQUIN interview

ケア・フェイリアー率いるダイ・マネキンが
ついに日本デビュー。
新たなロック・ディーヴァ誕生の予感!

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90年代オルタナの洗礼を受けながらも、よりパンキッシュで、さらにセンセーショナルなロックを奏でるダイ・マネキン。

06年のデビュー以来、カナダのロック・シーンでセンセーションを巻き起こしてきた彼女達がついに日本デビュー。11月4日にリリースされた『ユニコーン・ステーキ』は2枚のEPをカップリングした1stアルバムだ。

「カート・コバーンとキム・ゴードンが私のパパとママよ」と語るケアにインタビュー。多くのビッグネーム達を虜にしてきた、その魅力に迫る。

●ダイ・マネキンを始める以前、ブラッディー・マネキンズというバンドをやっていたそうですね。そのバンドでは、どんな音楽をやっていたんですか?

「今とそれほど変わらないわよ。そういう意味では、そのバンドがダイ・マネキンに発展した…って言うか、ダイ・マネキンの試作品って言うか(笑)。ブラッディー・マネキンズってバンド名は、最初のライヴで出番の直前にプロモーターが『おまえらバンド名は何ていうんだ?』って尋ねてきたから、でまかせにブラッドだかブラッディーだか忘れちゃったけど、テキトーに答えたのよね」

●そのバンドはどんなふうに始まったんですか?

「ああ、それはね、顔見知りのレオラって子から突然、電話もらって、『イギー&ザ・ストゥージズのトリビュート・ライヴで歌ってくれない?』って頼まれたから、『友達のエマも連れてっていい? それならいいわよ』って答えたのよ。その時は、それ1度っきりのつもりだった。だって、リード・シンガーになるつもりなんて、全然なかったからね。そしたら、ライヴがウケちゃって(苦笑)、いろいろなところから出演依頼が来て、成りゆきで自分が書き溜めていた曲を、リード・シンガーとして歌うことになったってわけ。その後、メンバー・チェンジを経て、バンド名をダイ・マネキンに変えたのよ」

●ダイ・マネキンを始めたとき、こんなバンドにしようって何かアイディアはあったんですか?

「そんなのなかったわよ。ハハ。だって、私、そんなに頭良くないもん。何でもありだった。確かにソニック・ユース、メルヴィンズ、ブロンド・レッドヘッド、ダイナソーJr.、イギー&ザ・ストゥージズ、ニール・ヤングなんかから影響は受けていたとは思うけど、でも、そういう影響って必ずしも音楽に現れるとは限らないのよね。ヘンなふうに聞こえるかもしれないけど……たとえば、私、ソニック・ユースの『GOO』とダイナソーJr.の『グリーン・マインド』とメルヴィンズの『フーディーニ』のアルバム・カヴァーを、タトゥーとして腕に入れているんだけど、それはアートワークとバンドが好きだってことに加えて、そのアルバム・カヴァーが私の人生を代弁しているからなのよ」

●人生を代弁ですか。

「そう。たとえば、『フーディーニ』のアートワークって、2人の子供が興味深そうに奇形の子犬を見ているでしょ。それって子供がこれまでとは全然違う世界を知ることの暗喩に思えるし、『グリーン・マインド』の女の子からは自信と思慮深さが窺えるけど、どこか寂しそうで世間知らずという印象もある。『GOO』のアルバム・カヴァーには『私は姉のボーイフレンドを寝盗り、両親を殺して旅に出た』って書いてあるでしょ。私の10代って、まさにそんなだった。もっとも人生を代弁していると言っても、家出する前と家出してからのことだけどね。それからのことは、まだタトゥーを入れてないから明かしていないのよ。まぁ、そのうちわかるとは思うけど。ともあれ、私のタトゥーは私にとってかけがえのないバンドを示すと同時に私の半生を物語っているってわけ」

●他に好きなバンドと言うと?

「イーグルズ・オブ・デス・メタル、クイーンズ・オブ・ザ・ストーン・エイジ、マイ・ブラッディ・ヴァレンタイン、ピクシーズ。私、ニルヴァーナとソニック・ユースを聴きながら育ったのよ。カート・コバーンとキム・ゴードンが私のパパとママよ(笑)。その頃、1日中、家でひとりぼっちにされていた私は、彼らに育てられたようなものね」

●バンドを初めて組んだ時のことを教えてください。

「いいわ。不思議なことにウィキペディアなんかでは、ブラッディー・マネキンが私の最初のバンドってことになっているけど、私、ブラッディー・マネキンズ以前にいくつもバンドをやっていたのよ。最初のバンドはフェイン・セクシー(Fain Sexxxy)っていうんだけど、3コードを弾けるようになってすぐ友達と始めたから11歳の時ね。学校が休みの日、演奏させてもらえる未成年可のクラブならどこでも演奏したわ。年齢を偽って、19歳以上でないと、出入りできないクラブに出演したこともあったっけ。そう言えば、本当の歳がバレても、『12歳の子供を出演させたって言いふらすわよ』ってプロモーターを脅して、出演しつづけたのよね(笑)。いけないことだとは思ったけど、トロントではそうでもしなきゃ、子供がクラブで演奏するなんてことできなかったのよ」

●ブラッディー・マネキンズは何歳の時、始めたんですか?

「15歳か16歳の頃ね。でも、それ以前にいろいろなバンドを経験していたけど。いつも7バンドぐらいは掛け持ちしていたわ。バンドを1つしかやらないなんてもったいないって考えてた。その頃はリード・シンガーじゃなかったけどね。スポットライトを浴びたり、ステージの真ん中に立ったりするのは苦手だった。注目されるのが好きじゃなかったのよ。でも、それを克服したとたん、契約や、その他いろいろな話をもらうようになって、やっと物事が動きはじめってわけ。挑戦すると決めたからこそ、私達は今、ここにいるのよ」

●ギターを弾きはじめる何かきっかけってあったんですか?

「8歳の時、ニルヴァーナの『ブリーチ』とソニック・ユースの『GOO』を聴いたことね。2歳の時からピアノを弾いていたんだけど、それからピアノなんてダサいと思って、家のどこかにしまいこんであるアコースティック・ギターを探したわ。習いはじめて、あっという間に投げ出した父親のアコースティック・ギターがあったのよ。それを見つけるとすぐに耳コピーしながら、ギターを弾きはじめた。たぶん、ほとんどがまちがっていたと思うけどね。でも、それしか方法がなかったのよ。家出して、高校を辞める以前、ヴィジュアル・アートの学校に通ったんだけど、そこで曲作りとギター以外の楽器にも興味を持ったわ。そう言えば、小学校のオーケストラで、何年かドラマーをやっていたのよ。だから、いまだに自分の曲のドラム・パートはすべて、私が作っている。つまり、私のアルバムのすべての旋律とドラムは、それが良くても悪くても100%ケアなのよ」

●ダイ・マネキンはガンズ&ローゼズ、マリリン・マンソン他、多くのビッグネームとツアーしてきましたが、そこからどんなことを得ることができましたか?

「音楽に対する偽りのない情熱ね。デフトーンズのチ、チノ、エイブは、私の仕事が楽しいものだということを思い出させてくれたわ。デフトーンズとのツアー中、チノはいつもDJのように『これを聴いてみろよ、これも聴いたほうがいい』と、いろいろな音楽をかけながら、彼らの経験と成長から、長い間、ツアーを続けてもなお音楽に興奮することはできるんだということを、今一度、信じられるようにしてくれた。その時、私、スランプに陥っていて、新しい音楽に全然興味も関心も持てない無気力なところからインスピレーションを得ようとしていたのよね。そんな状態からチノは『いつも自分自身でいればいいんだよ』って私を救い出して、ツアーは報酬でもゴールでもなく、楽しいことなんだってことを思い出させてくれた。一歩一歩、前に進みながら人生を楽しむことが大事なのね。あんまり将来のことにこだわりすぎると、人生はきつくなるんじゃないかな。もちろん、のんびりしている時間なんてないけど、ちょっときついなぁって思う時は、楽しんでいる自分をイメージするようにしているのよ」

●ビッグネームとのツアーにまつわるおもしろいエピソードって何かありますか?

「ハハ。もちろん、あるわよ。でも、ほとんどがR指定ね(笑)。NOFXのファット・マイクとスイスの山の中で不思議な夜を過ごしたこととか、フー・ファイターズと一緒だったドイツとか、楽しい思い出もいっぱいあるわよ」

●今回、日本でリリースされた『ユニコーン・ステーキ』の魅力は、どんなところですか?

「魅力? ハハ。リスナーがダンスできるような――それも下着姿でね、そういう曲をいつも作っているつもりだけど、そうね、『ユニコーン・ステーキ』の魅力は、リフはヘヴィィーだけど、激しいビートとシンガロングできるキャッチーなサビもめいっぱいあるところね。その興奮を感じ取ってほしいわ!」

●今年9月、カナダで新しいアルバム『Fino + Bleed』をリリースしましたよね。

「ええ。人間としてもアーティストとしても成長できていたらいいけど。だって、成長していなかったらサイテーじゃない? もちろん、ソングライターとして何も恐れずに冒険したし、サウンドもライヴに近づけた。曲作りと同じぐらいサウンド面にもこだわったのよ。リスナーがまるで旅しているように感じられる作品にもしたかった。全曲が気に入ってもらえるような作品にしたかったのよ。1曲か2曲しか気に入ってもらえないアルバムなんてサイテーでしょ。『Fino + Bleed』は全然違うタイプの曲が入っているけど、どの曲も110%ダイ・マネキンよ」

●ダイ・マネキンにとってゴールとは?

「私、ゴールを考えられるほど頭がいいわけじゃないのよ。やりたいことをやりつづけることかな。陳腐な答えだけどね。うーんと、そうね、大切なのはニルヴァーナとかソニック・ユースとか、私が子供の頃に聴いていたバンドから得たものを、これから大人になる子供達に返すことかもね。それがロック・シーンのサイクルだものね。そう、今度は私が返す番なのよ」

●忙しい中、インタビューに応じていただいてありがとうございます。

「こちらこそ、ありがとう……あ、違う違う! そうじゃない。やっぱり、こうでなきゃ。心から感謝を込めてありがとう!」

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ユニコーン・ステーキ/ダイ・マネキン(スピニング SPIN-012)

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DEER TICK

稀代のソングライターが率いる
風変わりなロックンロール・バンド

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このブログを始めたとき、日本では誰一人知らないようなバンドについて書くのはやめようと誓ったのに書かずにいられない・・・。

とり憑かれたようにこの数ヶ月間、このバンドのCD『Born On Flag Day』を聴きつづけている。そこにはアメリカの片田舎のローカル・バンドを聴く醍醐味が目一杯詰まっている。

ロード・アイランド州プロヴィデンスの4人組、ディアー・ティック。

彼らの音楽については、MySpaceか何かで聴いてもらうとして、ここでは彼らの音楽を形容せずに、彼らがどういうバンドなのか紹介してみたい。

まず、全曲のソングライティングを手がけている中心メンバー、ジョン・ジョセフ・マッコーリー3世は基本的に、フォーク/カントリー、あるいはオールディーズ調の素晴らしい曲を作る才能を持ったソングライターである。

それは基本中の基本の情報として押さえておきたい。

しかし、じゃあディアー・ティックはフォーク/カントリー・バンドなのかと言うと、決してそうではない。

曲によっては、けっこうエレキギターを歪ませ、ギャンギャン鳴らしていたりもする。

因みにマッコーリーが(テレビだかウェブだかの)ミュージシャンが自分のフェイヴァリット・アルバムについて語る番組で取り上げていたのは、ニルヴァーナの『イン・ユーテロ』である。

さらに言えば、今年のハロウィンの夜、ディアー・ティックはソニック・ユースをゲストに迎え、セックス・ピストルズの曲をカヴァーする企画ライヴを行っている。

また、以前、ミスフィッツのトリビュート・コンサートに出演したことがあるらしい。バンドのMySpaceにデヴィロック・ヘアー姿のメンバーの写真がアップされている。

鹿ダニという意味のバンド名はマッコーリーが山にハイキングに行ったとき、ダニに食われた経験に由来している。

そのマッコーリーは腕にダニの絵柄のタトゥーを入れている。

彼らのデビュー・アルバムは、アシッド・フォーク・シンガーのヤナ・ハンターのレーベルからのリリースだった。

そのアルバムが現在、バンドが所属しているパルチザン・レコードからリイシューされた際、ジャケットはマシンガンを持ったビキニ・ギャルとメンバーが一緒に写った写真に差し替えられた。

カントリーの定番であるデュエット・ソングを模した、『Born On Flag Day』収録の「Friday XIII」でマッコーリーは「『13日の金曜日パート9 ジェイソンの命日』を見てからずっと長い間、俺はひきこもり、カウチの上で正気を失っている」と『13日の金曜日パート9 ジェイソンの命日』に言及している。なぜ、決して傑作とは言えないパート9なのか?

マッコーリーはディアー・ティックのサウンドがオルタナ・カントリー、あるいはフリーク・フォークと言われることに異議を唱えている。

そのマッコーリーは、自分達はロックンロール・バンドだと、あくまでも主張している。

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BORN ON FLAG DAY/DEER TICK(PARTISAN PTSN-005)

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LUCERO ON THE ROAD

新作をひっさげ全米ツアーを敢行中!

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10月6日に最新6thアルバム『1372 Overton Park』をリリースしたルセロはそれからホーン・セクションを引き連れ、全米各地を順調にツアーしているはずだった。

しかし、10月末、中西部から西海岸に向かう途中、大雪のため、ワイオミングで立ち往生してしまい、結局、10月29日のシアトル公演と翌日のポートランド公演をキャンセルしなければならなかった。

実は、新曲をぜひライヴで聴いてみたいと思い、今回のツアーをアメリカまで見に行こうと計画を立てていた。結局、実現はできなかったのだが、シアトルとポートランドはニューヨークやサンフランシスコとともに候補に挙げていた街だ。

もし、シアトルかポートランドに行っていたら……そう考えると、ちょっとぞっとする。

ところで、大雪による公演キャンセルの知らせを、バンドのウェブで読んでいたら文中にツアー・バスとあって、「あれ、ヴァンじゃないんだ?!」とちょっとびっくりした。

バスだって。

この間までヴァンだったのに。

出世したなぁ。

それってやっぱりメジャーと契約したお陰なのか。

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LUCERO IN THE CHARTS

新作が全米チャートにチャートイン!

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ルセロの『1372 Overton Park』が全米チャートと表現されることが多いビルボードのThe Billboard200の114位にランクイン!

まぁ、114位という数字は正直、ビミョ~ではあるけれど、では、Heartseekers Albumの2位はどうだ。

Heatseekers Albumは大雑把に言えば、の101位以下で売上を伸ばしているアルバムを取り上げるチャート。

「次回ブレイクは必至!」

このチャートで1位や2位になったアーティストは、そんなふうに言われることが多いようだ。

もちろん、チャート上の成功を求めているわけではない。いいアルバムを聴かせてもらえれば、チャートなんてどうでもいい。言ってみれば、オマケみたいなものだ。

しかし、大好きなバンドがそんなふうに注目されることは素直にうれしい。

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LOCAL SOUND STYLE

新しいバンドの姿を印象づける
2年半ぶりのニュー・アルバム

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期待をはるかに上回る作品だ。

自信作だとメンバー自身が言っていたので、それなりに期待はしていたのだが、ここまですごい作品だとは、ちょっと予想していなかった。

Local Sound Styleが10月28日にリリースした2ndフルアルバム『Hope』。

希望がやがて意思に変わるというコンセプトの下、作られた全12曲。

そこには和製ゲット・アップ・キッズと謳われ、これまでエモのレッテルを貼られていたLocal Sound Styleは、もういない。

オアシスを経て、ビートルズにまで遡ることができるポップ・ナンバーからメロディック・パンク・ナンバーまで、多彩な楽曲が新しいLocal Sound Styleを印象づける。

それを聴き、バンドの成長とバンドが本来持っていた疾走感は相反するものではないことを、僕は改めて教えられた。

リリースの1週間前、メンバーにインタビューさせてもらったところ、アルバムの聴きどころをたっぷりと語ってくれた。

すでに新作を聴いてしまった人でも、そのインタビューを読めば、新作をさらに楽しめるようになるはずだ。

11月30日発売のindies issueを、ぜひチェック!

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HOPE/LOCAL SOUND STYLE(FABTONE  FABC-094)

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ウィーザー

ある意味、オープン・マインドな最新アルバム『ラディテュード』をリリースしたウィーザーは、その後も…

子供番組『Yo Gabba Gabba』で虫の着ぐるみ姿で演奏したり、

『ゴシップ・ガール』のレイトン・ミースターと共演したり、

毛布メーカーのスナッギーと共同で作った袖つき毛布ウッギーを着て、テレビ番組『the Late Show with David Letterman』で演奏したりと、

とってもオープン・マインドだ。

なんか楽しんでいる感じがする。

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ラディテュード/ウィーザー(ユニバーサル UICF-1119/20)

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