ノース・ミシシッピのフェミニスト、LUTHER DICKINSONがSAMANTHA FISHのためにお膳立てした本気のレコーディング・セッション

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 その時、サマンサ・フィッシュは表現の幅を広げようとしていた。2014年のことだ。

 ミズーリ州カンザス・シティのブルース・クラブで、18歳の時から演奏していたという彼女はその頃、すでに『Runaway』(11年)、Black Wind Howlin'13年)という2枚のアルバムで、これからのブルース・シーンを背負って立つ新進シンガー・ソングライター/ギタリストとして、大いに注目を集めていた。颯爽とミニスカートをひらめかせながら、スライド・ギターをキメる彼女の姿に世界中のブルース・ファンが虜になったことは想像に難くない。

 当時、彼女は25歳。そんな評価と人気をステップに新たなことに挑戦したいと考えても何ら不思議ではない。

「周りが求めることに応えるのはやめた。自分の興味を追求したい」

 そんな発言からは、才能と野心に溢れる若いミュージシャンにとってブルース・シーンは少々、窮屈だったことが窺える。

 

 新たな一歩は、ノース・ミシシッピ・オールスターズのルーサー・ディッキンソンをプロデューサーに迎えたWild Heart15年)から始まった。07年から11年までブラック・クロウズのギタリストだったルーサーの起用を歓迎したブルース・ファンは少なくなかったと思うが、サマンサが求めたのはブルースをバックボーンに持ちながら、それだけにとどまらないルーサーの間口の広さと伝統に縛られないオルタナティヴな感性だったはず。

 

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サマンサとルーサー・ディッキンソン

 

 彼女はルーサーがソロ名義でリリースした『Rock 'n' Roll Blues』(14年)とオールスターズによる『World Boogie Is Coming』(13年)を聴き、彼にプロデュースしてもらったらどうだろう、と考えたそうだ。

「これだ!と思ったわ。ルーサーたちのアプローチには、エッジィなものにするために必要なクールでモダンな要素があって、そのいくつかを自分のレコードに取り入れたらクールだと思ったのよ」

 

Wild Heart』におけるサマンサとルーサーによる新たな挑戦を、端的に語るなら、彼女のバックグラウンドにあるカントリーというもう1つのルーツを今一度掘り起こすことと、ルーサーのバックボーンであるノース・ミシシッピのヒル・カントリー・ブルースにアプローチすることだった。

 ハード・ロッキンなところもあるモダンなエレクトリック・ブルースという意味では、前の2枚のアルバムの延長と言えるものの、ルーサーがラップ・スティールの音色を加えた「Place To Fall」と「Blame It On The Moon」、ジュニア・キンブロウのヒル・カントリー・ブルース「I’m In Love With You」をカントリー・バラードにアレンジしたカヴァーで聴かせるカントリー・フィーリングは、そんな挑戦の成果と言ってもいい。

 

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Wild Heart (Ruf)

 

 サマンサとルーサー。お互いに遠慮があったのか、それともスケジュールの都合上、ミシシッピにあるルーサーのホーム、ゼブラ・ランチ・スタジオ他計4つのスタジオを渡り歩きながら、という慌ただしいレコーディングだったからなのか、探り探りという印象もなきにしもあらずだが、2年後、Bell Of The West(17年)で2人が再び手を組んだということは、この時点ですでに、ともにもっとできるという手応えを感じていたということだ。

 ところで、『Wild Heart』と『Belle Of The West』の間にその2枚とは別の新境地を求めたChills & Fever(17年)というアルバムをリリースしていることも忘れずに記しておきたい。その『Chills & Fever』はデトロイト・コブラスの元メンバーたちとロネッツの「He Did It」をはじめ、60年代のソウルとポップスのカヴァーばかりをレコーディングした作品だった(ガレージ・ロックや、いわゆるヴィンテージ・ソウルのファンなら、ぜひ!)。

 

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Chills & Fever (Ruf)

 

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デトロイト・コブラスの元メンバーたちと

 

 この時期、サマンサがとにかくいろいろ新しいことに挑戦したいと考えていたことが窺えるが、ともあれ、『Bell Of The West』を作る上でサマンサとルーサーが目指したのは、『Wild Heart』収録のデルタ・ブルースのパイオニア、チャーリー・パットンの「Jim Lee Blues Pt.2」のアメリカーナなカヴァーのコンセプトをさらに追求することだったんじゃないか。

 再びプロデュースに挑んだルーサーはサマンサのために完璧なレコーディング・セッションをお膳立てした。ルーサーがゼブラ・ランチに招集したミュージシャンの顔ぶれがすごい。ライトニン・マルコム、ジンボ・マサス、エイミー・ラヴィール、リリー・メイ、ティキーラ・ジャクソン、シャーデ・トーマスら、ルーサーの活動をフォローしているリスナーならお馴染みのミュージシャンばかりだが、オールスター・メンバーを揃えたところにルーサーの本気が感じられる。因みにライトニン・マルコムとシャーデは、前述した『Wild Heart』収録の「I’m In Love With You」「Jim Lee Blues Pt.2」からひきつづきの参加だ。

 

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Belle Of The West (Ruf)

 

 シャーデのファイフとリリー・メイのヴァイオリンが鳴る、まるでノース・ミシシッピ・オールスターズな「American Dream」で始まる『Belle Of The West』は、表現の幅を広げたいというサマンサの願いをとことん追求した作品だが、同時に参加した全員が自由なセッションを楽しんでいるような雰囲気が感じられるところがルーサーらしい。その意味では、サマンサもルーサーと彼の仲間たちの輪に加わって、のびのびと演奏を楽しんだようだ。

 『Belle Of The West』にはその他、カントリーもあれば、ソウルフルなサザン・ロックもある。メランコリックなR&B調のバラードもあれば、ルーサーがマンドリンを奏でたノスタルジックでフォーキーなバラードもある。さらにはR.L.バーンサイドの「Poor Black Mattie」をライトニン・マルコムとサマンサが掛け合いながら歌うヒプノティックなヒル・カントリー・ブルースもある。リリー・メイのハーモニーとともに歌ったリリー・メイ作の「Nearing Home」も聴き逃せない。

「ギターの速弾きには興味はなかった」と語っているようにギターを泣かせながら、モダンなエレクトリック・ブルースを演奏するサマンサはここにはいない。

 ブルースの要素も持ってはいるものの、サマンサとルーサーの思惑どおりアメリカーナという言葉がふさわしい『Belle Of The West』が、彼女のディスコグラフィーの中で一番の異色作になったことは言うまでもない。ノース・ミシシッピ・オールスターズはもちろん、ルーサーが複数の女性アーティストたちと組んだザ・ワンダリングやシスターズ・オブ・ザ・ストロベリー・ムーンが好きなら、ぜひ。ギター・オリエテッドなブルースはちょっと苦手というリスナーでも楽しめるはず。歌の魅力もぐっと際立ってきた。

 もっとも、中には戸惑ったファンもいたかもしれない。しかし、それぐらいしなければ、新しいことに挑戦する意味はない。

 

「自分自身に挑戦することこそが成長に繋がる」

 そう語るサマンサの挑戦はその後も続いている。

 カンザス・シティからニューオーリンズに移った彼女は長年、在籍していたドイツのブルース専門レーベル、Rufからサラ・ジャローズ、シエラ・ハル、シエラ・フェレルらを擁するアメリカのラウンダー・レコードに移籍して、199月、6thアルバムKill Or Be Kindをリリースしている。

 

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Kill Or Be Kind (Rounder)

 

 新天地にラウンダーを選んだことからは、ひきつづきブルース・ファンにとどまらないリスナーにもアピールしていこうという思惑が読み取れるが、グラミー受賞プロデューサー、スコット・ビリントン(ボビー・ラッシュ他)とともにメンフィスのロイヤル・スタジオやニューオーリンズでレコーディングした『Kill Or Be Kind』では、ぐっとソウルフルに30歳という年齢にふさわしい成熟を印象づけている。

 そしてもう1つ、『Wild Heart』で組んだジム・マコーミックに加え、パーカー・ミルサップ、パトリック・スウィーニーら、複数のソングライターと曲を共作しながら、ギターのみならず、ソングライティングにも磨きを掛けようという挑戦がそこにはあったという。

 

 

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愛する母の死、ドラッグ依存を乗り越え、グラミー賞にノミネートされたWAYLON PAYNEが16年ぶりに2ndアルバムをリリース

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 193月、ウェイロン・ペインがSXSWに出演した時には、すでに『The Prodigal』というタイトルまで決まっていた2ndアルバムが、『Blue Eyes, The Harlot, The Queer, The Pusher & Me』と改題され、ようやく911日にリリースされることになった。

 046月にウェイロンがリリースしたデビュー・アルバム『The Drifter』から数えて、実に16年ぶりとなる。

 その『The Drifter』をリリース当時、愛聴していた筆者は、どちらかと言うと懐かしいという気持ちでSXSWライヴに足を運んでみたのだが、改めて彼が作る曲の良さに胸を打たれてしまったのだった。それ以来、まだかまだかと新作のリリースを心待ちにしていたから、正式にリリースが発表された時は、とてもうれしかった。

 

 ウェイロン・ペインはナッシュビル生まれ、テキサス育ちのシンガー・ソングライターだ。

 彼のことを知っている人が日本にどれだけいるのか正直心許ないところはあるのだが、ホアキン・フェニックスがジョニー・キャッシュを演じた映画『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』でジェリー・リー・ルイスを演じていた、あの…と言ったほうがピンと来る人は、ひょっとしたら多いかもしれない。

 

 ウィリー・ネルソンのギタリスト、ジョディ・ペインを父に、グラミーの最優秀女性カントリー・ヴォーカル・パフォーマンスを受賞したHelp Me Make It Through The Nightのヒットを持つサミー・スミスを母に持つ、言わばカントリー界のサラブレッドである。しかし、前述したとおりウェイロンはシンガー・ソングライターとして順調にキャリアを進めてきたわけではなかった。

 『The Drifter』をリリースしたのは32歳の時だったが、そもそもミュージシャンの両親を持ちながら、音楽の道に進もうと考えたのが遅かった。なぜなら、両親ともに年中、ツアーに出ていたため、夏休み以外は母方のおじ夫婦に預けられていたウェイロンは、厳格なクリスチャンだったおじ夫婦によって、宗教の道に進むように育てられたからだ。

 しかし、高校卒業後、牧師になるため神学校に進んだものの、やがてアルコールとドラッグを覚え、ポピュラー・ミュージックに出会ったウェイロンは、これは自分が望んでいる生き方ではないとドロップアウト。とうとう育ての親だったおじ夫婦から勘当されてしまった。

 罪人。おじ夫婦はウェイロンのことをそう呼んだそうだが、アルコール、ドラッグ、ポピュラー・ミュージックに溺れたことに加え、自分を偽って生きるのはやめようと決意したウェイロンがゲイであることをカミングアウトしたことが決定打となったようだ。

 自分に正直になることが罪になるなら喜んで罪人になろう、とウェイロンが考えたかどうかはさておき、その後、故郷のナッシュビルに戻って、カントリー・スターになるため、週6日、ホンキー・トンクで歌い始めたウェイロンが見つけた仕事が、シェルビー・リンのバンドのギタリストだった。

 これは最近まで知られていなかった話なんじゃないかと思うのだが、シェルビーの、その後のブレイクを考えると、そのまま彼女と活動を共にしていたら、ウェイロンの将来もずいぶん違うものになっていたことだろう。もちろん、それが良かったかどうかは別として。

 シェルビーはウェイロンのソングライティングの才能も買っていたという。しかし、そんな期待を裏切ったのが、ウェイロンのドラッグ癖だった。

 バンドをクビになり、ナッシュビルにいづらくなったのだろうか。その後、新天地を求め、01年にロサンゼルスに移ったウェイロンはハリウッドのクラブで歌っていたところを、シンガー・ソングライター兼セッション・ギタリストのキース・ガティスに認められ、書き溜めていた曲の数々レコーディングするチャンスを掴む。

 ウェイロンの出自のなせるわざなのか、ドワイト・ヨーカムのバンドでバンマスも務めるキースの顔の広さの賜物なのか、レコーディングにはウェイロンの父ジョディに加え、ケン・クーマー、ラミ・ジャフィ、グレッグ・リーズら、主にルーツ・ロックの界隈で活躍している腕利きたちが参加。彼らとレコーディングした曲の数々が後に『The Drifter』として世に出たわけだが、その『The Drifter』はカントリーと言うよりもスワンプ風もあるアメリカン・ロックなサウンドとともにウェイロンが持つ歌心をアピール。タトゥーだらけのルックスからはちょっと想像しづらいが、ウェイロンはロマンチックなポップ・ソングや胸に染みるバラードを得意としていた。胸に迫るガッツィーな歌声も聴きごたえがあった。

 

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『The Drifter』をリリースした頃

 

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The Drifter (Repblic / Universal)

 

 全11曲中、唯一収録されているカヴァーが、シェルビー・リンがグレン・バラードと共作したJesus On A Greyhounds(01年の『Love, Shelby』の収録曲だ)なのだから興味深い。この曲を収録することで、アルバムに足りなかったアンセミックなロック・ソングという最後のピースが埋まったと思うのだが、ウェイロンにとっては《So I told him I’m a sinner. He said that’s o.k. I’m not here to change you anyway.》という歌詞が重要だったのかもしれない。「Jesus On A Greyhounds」を取り上げたことについて、ウェイロンはこんな発言を残している。

「女性シンガーが好きなのは、たぶん子供の頃、母さんがツアーに出ている間、俺は母さんが恋しかったからだろうね」

 ウェイロンは確実に注目を集めた。それにもかかわらず、その後、レコーディングのチャンスに恵まれなかったのは、『The Drifter』のセールスが期待したほど伸びなかったことや、『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』の熱演が認められ、俳優としての仕事が増えたことに加え、ドラッグの問題を抱えていたからなんじゃないか。ロサンゼルスに来てから、ドラッグの量はぐっと増えたという。

 実際、エルビス・プレスリー作品で知られるギタリスト、ハンク・ガーランドの伝記映画Crazy07年)で主演を務めたり、リー・アン・ウォマックの『Call Me Crazy』(08年)に「Solitary Thinkin'」を提供したりしながら、ウェイロン自身もそれはわかっていたようで、08年、ついにドラッグをやめようと決意。テキサス州オースティンに赴き、ウィリー・ネルソンとウィリーの姉ボビーの庇護の下、リハビリを始める。05年に母サミーが亡くなったこともきっかけになった。

「母さんに俺のことを誇りに思ってほしかったんだ」

 リハビリには時間がかかったが、124月を最後にドラッグは一度もやっていないそうだ。ドラッグをやめたら、新たなキャリアも開けてきた。

 ナッシュビルに戻ったウェイロンはリー・アン・ウォマックの夫で、音楽プロデューサーのフランク・リデルとソングライターとして契約を結ぶと、フランクに勧められ、さまざまなソングライティングのセッションに参加。そこでブレンダン・ベンソンら、何人ものソングライターたちと作った曲がミランダ・ランバート、リー・アン・ウォマック、アシュリー・モンローら、人気シンガーに取り上げられた。中でも、リー・アン・ウォマック、アダム・ライトと作り、リー・アン・ウォマックが歌った「All The Trouble」(17年発表の『The Lonely, The Lonesome And The Gone』に収録)は、グラミー賞のベスト・アメリカン・ルーツ・ソングにノミネートされた。

 そして、ついに新作の制作が始まった。

 レコーディングは古い教会を改造したスタジオ、サザン・グラウンド・ナッシュビルで行われたのだが、その昔、ウェイロンの母サミーが「Help Me Make It Through The Night」をレコーディングしたのが、まだモニュメント・スタジオという名前だったこのスタジオだった。偶然だったのか、それともエリック・マッセ(ミランダ・ランバート他)とともにプロデューサーを務めたフランク・リデルの粋な計らいだったのか。スタジオでウェイロンは、母の魂を感じたというんだから、きっと満足できる歌が録れたに違いない。

 ついに完成させられたアルバムに放蕩者を意味する『The Prodigal』というタイトルをつけ、発表までしておきながら、リリースを待っている間に『Blue Eyes, The Harlot, The Queer, The Pusher & Me』という、より具体的なタイトルに改めたのは、曖昧な言葉でごまかさずに自分の過去とちゃんと向き合おうとしているようにも思える。

 

 ともあれ、アルバムのリリースに先駆け、「All The Trouble」のセルフ・カヴァー他、配信リリースされた6曲を聴くかぎり、タフになった印象や前作からの16年という歳月にふさわしい成熟も感じられるが、ウェイロンらしい繊細な歌心は全然変わっていないんだからちょっとびっくりだ。

 カントリーを基調に前作以上にブルージーになったり、フォーキーになったりしながら、どんな曲を書いても、ポップな響きがあるところがウェイロン・ペインなのだ。

 そんなことを今一度感じながら、アルバムの全貌が明らかになる911日を、首を長くしながら待っている。

 

 

 

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Blue Eyes, The Harlot, The Queer, The Pusher & Me (Carnival / Empire)

 

 

 

 

 

 

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新たなクイーン・オブ・アウトロー・カントリー、JAIME WYATTが歌う悪魔祓いのブルース

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 7月にリリースされるマーゴ・プライスの『That’s How Rumors Get Started』を聴いてみないことには断言できないものの、ジェイミー・ワイアットがシューター・ジェニングスと作り上げたNeon Crossに対する多くのメディアによる絶賛を考えると、ニッキー・レーンからクイーン・オブ・アウトロー・カントリーの称号を奪うのは、ジェイミーなんじゃないかという気がしている。

 いや、実際には誰もそんなことを競い合っているわけではないのだが、思わずそんな戯れ言を言ってしまいたくなるほど、『Neon Cross』が素晴らしい。

 共作の2曲も含め、全11曲を書いたジェイミーのソングライティングの成熟もさることながら、プロデュースを手掛けたシューターの手腕によるところも大きいのだろう。シューターは自分のバンドのメンバーをひきつれ、レコーディングに参加した。

 70年代のアウトロー・カントリーを現代に蘇らせながら、バラードからアップテンポのカントリー・ロックまで、まんべんなくジェイミーの魅力を伝えているという意味で、『Neon Cross』は実によくできている。

 時折、カントリーの範疇に収まりきらないアレンジにもアプローチしているところも含め、全然スキがない。198月に急逝したニール・カサールのギター・プレイ、元祖クイーン・オブ・アウトロー・カントリー、ジェシー・コルターとのデュエットも聴きどころだ。

 

 そんな『Neon Cross』の中で、綻びと言ったら言い過ぎかもしれないが、唯一、ウェルメイドな作風にそぐわないのが、アルバムの最後を飾るダックス・リッグスのカヴァー「Demon Tied To A Chair In My Heart」。

 バラードからグランジ風のハード・ロックに急展開するこの曲を、ジェイミーとシューターは40年代風のクラシックなカントリーにアレンジしているのだが、『Neon Cross』を聴いていたら、最後の最後に記憶にある歌詞とメロディが聴こえてきたものだから、ダックスの大ファンである筆者は思わず声を上げた。

 

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 ダックスが07年にファット・ポッサムからリリースした1stソロ・アルバム『We Sing of Only Blood or Love』のオープニングを飾るこの曲を、なぜジェイミーが!? 

 90年代からメタル・バンドのアシッド・バスやエージェンツ・オブ・オブリヴィオン、幸か不幸かホワイト・ストライプスのフォロワーとして売り出されたデッドボーイ&ジ・エレファントメンとバンドを変えながらも、一貫して内なる悪魔を題材に自分なりのブルースを歌い続けてきたルイジアナ出身のダックスとジェイミーが結びつかず、意外だった。 

 ひょっとしたら、メタル・シーンにも片足を突っ込んでいるシューターのサジェスチョンだったのかもしれない。そこのところを知りたくて、いくつもインタビューをチェックしてみたのだが、どれを読んでもインタビュアーが話題するのは、ジェイミーのセクシュアリティと21歳の頃のドラッグ依存および逮捕経験(この記事に詳しい)ばかりで、「Demon Tied To A Chair In My Heart」を選曲した理由は、とうとうわからずじまいだった。

 ともあれ、12年間暮らしたロサンゼルスに別れを告げ、新天地ナッシュビルで新たなキャリアをスタートさせる節目のタイミングで作った『Neon Cross』の締めくくりにジェイミーが「Demon Tied To A Chair In My Brain」を持ってきたところが興味深い。因みにタイトルの『Neon Cross』はハリウッドの丘に立っているハリウッド・クロスというモニュメントのこと。10メートルほどある巨大な十字架は、ジェイミーにとってロサンゼルスの象徴なんだそうだ。 

  

「自らが抱えるジキルとハイド症候群を歌ったようなもんだ」

 ダックスはこの曲について、かつてそんなふうに語っていたが、ジェイミーはまるで頭の中の椅子に縛りつけられた悪魔に打ち克とうとするように喉も張り裂けんばかりの渾身の歌で立ち向かっている。まがまがしい歌詞に加え、オーブリー・リッチモンドが奏でる神経を逆撫でするようなフィドルの音色がゴシック・ムードを助長するこの曲を、ドラッグ依存を歌った最も生々しいものだと評したレビューもあれば、魂の悪魔祓いとたとえたレビューもある。 

 新たな一歩を踏み出す前に今一度、自らの内なる悪魔にしっかりと対峙しておきたかったということなんだろうか。何にせよ、「Demon Tied To A Chair In My Brain」のカヴァーがアルバムの最後に残すインパクトは、あまりにも強烈だ。この曲があるのとないのとでは、アルバムの印象はかなり変わっていたはずだ。

 

 

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Neon Cross (New West)

 

 

 

 

 

 

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MY MORNING JACKETのJIM JAMESが惚れこんだ大型新人 S.G. GOODMANの意外なバックグラウンド

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 いろいろ心待ちにしている新譜の中で、S.G.グッドマンのデビュー・アルバム『Old Time Feeling』がより一層楽しみになったのは、マイ・モーニング・ジャケットのジム・ジェームズによるプロデュースというキャッチーな話題もさることながら、彼女がアメリカのローリング・ストーンの記事の中で、『Old Time Feeling』を作る時の一番のインスピレーションとして、リンク・レイの『Link Wray』を挙げていたことが大きい。 

 20代半ばと思しき彼女の口からリンク・レイの名前が出でてきただけでも意外なのにリンク・レイのキャリアにおいては異色作とされることが多い71年のセルフタイトル作というところに、さらにびっくりだった。

 『Link Wray』が隠れたスワンプ・ロックの名盤と謳われていることを思えば、自らの出自であるアメリカの南部に根差した表現を追求しようとしていた彼女がそこに何かしらの指針を見出したとしてもそれほど驚くべきことではないのかもしれない。しかし、スワンプ・ロックということなら、それこそ名盤と謳われる作品が他にもいろいろあるにもかかわらず、伝説のギタリストが残した異色作を選んだところがいいじゃないか。変わってらぁと言うべきなのか、わかってるぅと言うべきなのか、ちょっとわからないけど、いずれにせよ興味深い。

 

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 Link Wray (Polydor)

 

 なぜ『Link Wray』なのか? 前述のローリング・ストーンの記事では、残念ながらそこには言及していないのだが、そこはやはりガレージ・パンクやハード・ロックの源流とされる58年のギター・インスト・ヒット「Rumble」を代表曲に持つリンク・レイによるスワンプ・ロックというところが大きいんじゃないか。そんなふうに想像したら、『Old Time Feeling』はもちろん、ケンタッキーから現れたS.G.グッドマンという新進アーティストにがぜん興味が湧いてきた。

 

 S.G.グッドマンことシャイナ・グッドマンはケンタッキー州ヒックマンで生まれ育った。ミシシッピ川の河畔に位置する極々小さな田舎町。人口は2,000人ちょっとだという。グッドマン家はとうもろこし農家だった。

 いつしかシャイナは物語や曲を書き始め、高校生の時にはすでにバンド活動を始めていたようだ。歌うこととメロディやハーモニーは週3日、通っていた教会で学んだ。

 パンチ・ブラザーズのクリス・シーリーも通っていたマレー州立大学に進学するため、生まれ故郷を離れ、ケンタッキー州マレーで暮らし始めたシャイナは、そこでパンク・バンドのドラマーだったスティーヴン・モンゴメリー(Dr)とサヴェージ・ラドリーを結成。16年に地元のラジオ局が主催したバンド・コンテストで優勝したことをステップに翌176月、スロウ・ウォーターというローカル・レーベルから、ジャスティン・タウンズ・アール他を手掛けてきたスカイラー・ウィルソンをプロデューサーに迎えた1stアルバム『Kudzu』をリリースした。

 

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SAVAGE RADLEY

 

 そして、その直後に声を掛けられたケンタッキーのミュージシャンによる自然保護団体 ケンタッキー・ナチュラル・ランズ・トラストとパイン・マウンテン居留地学校を支援するためのコンピレーション・アルバム『Pine Mountain Music Sessions』(ok recordings)に参加した際、同アルバムのプロデューサーでシンガー・ソングライターのダニエル・マーティン・ムーアからジム・ジェームズを紹介されたことが今回のメジャー・レーベルからのデビューに繋がったということらしい。

 

「魔法にかかったんだ」 

 シャイナの歌を初めて聴いた時のことを、ジムはそんなふうに回想している。もしかしたら、ジム自らプロデュースを買って出たのかもしれない。

 『Old Time Feeling』のレコーディングはジムのプロデュースの下、ケンタッキー州ルイヴィルにあるジムのお気に入りのスタジオ、ラ・ラ・ランドで行われた。

 故郷である小さな田舎町ならではのコミュニティーに対して、息苦しさと断ちがたい絆を同時に感じる葛藤を歌った表題曲Old Time FeelingMVは、レコーディングのちょっとしたドキュメンタリーになっている。それを見ると、レコーディングにはサヴェージ・ラドリーのメンバーも参加しているようだ。

 『Old Time Feeling』のリリースは、717日。それまでアルバムの全容を知ることはできないのだが、前述したコンピレーションに提供したフォーキーなバラード「Red Bird Morning」を再録していることを考え合わせると、バンドの顔ぶれは変わらないものの、もしかしたら今回のメジャー・デビューを機にサヴェージ・ラドリー改めS.G.グッドマンとして再出発しようということなのかもしれない。

 確かに、前述した「Old Time Feeling」、「Red Bird Morning」、そしてシャイナの実家でMVを撮影したブルージーなThe Way I Talkというリリースに先駆け、アルバムから公開された3曲を聴くかぎり、サヴェージ・ラドリー時代にデルタ・フォークと自ら掲げたルーツ・ロック・サウンドに大きな変化はなさそうだが、グランジのゴッドファーザーと謳われるようになったニール・ヤングを彷彿させるダイナミックなギター・プレイとヒリヒリとした切迫感に満ちたヴォーカルなど、シャイナの個性と言うか、存在をより前面に押し出してきたという印象もある。

 コロナ・ウイルスの影響でジョン・モアランド、ナダ・サーフ、サン・ヴォルトとのツアーは中止になってしまったが、その顔ぶれからもどれだけ期待されているかが窺えるだろう。

 

 ジムもこんなふうにも言っている。

 「彼女は我々が今必要としている癒しに重要な役割を果たすことができると思う」

 つまり、これからの音楽シーンにとって重要な存在になるということだろう。 

 

 ジムはこれまで自らの音楽活動のかたわら、プロデューサーとしてもダニエル・マーティン・ムーア、レイ・ラモンテイン、ジョニー・フリッツ、バーシャ・ブーラトら、実は多くの作品に参加してきたが、注目度という意味で、『Old Time Feeling』はプロデューサーとしてのジムの代表作になるかもしれない――などと、いろいろ想像を膨らませながら、『Old Time Feeling』のリリースを楽しみにしている。

 

 シャイナの父親のポライド写真を使ったアルバムのアートワークも実にいい。それも『Old Time Feeling』に惹かれる大きな理由だ。

 

 

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Old Time Feeling (Verve Forecast)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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NEIL YOUNGにKURT VILE。そして、ROBYN HITCHCOCKも! 世界最強のバック・バンドとしてのTHE SADIESのポテンシャル(つづき)

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[L-R] Sean Dean(Ba)  Dallas Good(Gt/Vo)  Mike Belitsky(Dr)  Travis Good(Gt/Vo) 

 

 

 ひきつづきセイディーズが参加したアルバムを紹介していきたい。

 

 

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Country Club

John Doe And The Sadies

09年 Yep Roc

 Xのツアー、ニッターズ(注1)のリユニオンhttps://youtu.be/PPuQPJLxW8o、さらには俳優業にも精を出しながら、5枚(注2)のソロ・アルバムを立て続けにリリースするベテランというには、あまりにもエネルギッシュな活動が頼もしかった00年代、ジョン・ドォは念願だったという本格カントリー・アルバムもリリースしている。

 それがセイディーズと作った、この『Country Club』だ。

 

注1:Xのサイド・プロジェクト。イグジーン・サーヴェンカ(Vo)、ジョン・ドォ(Vo, Ba)、DJ・ボーンブレイク(Dr)の3人が82年にブラスターズのデイヴ・アルヴィン(Gt)、レッド・デヴィルズのジョニー・レイ・バーテル(Ba)と結成した。これまで『Poor Little Critter on the Road』(85年)、『The Modern Sounds of the Knitters』(05年)という2枚のアルバムをリリース。ともにカントリーにアレンジしたXのオリジナルとトラッド・ソングおよびカントリー・クラシックスのカヴァーが収録されている。 

注2:06年の『For the Best of Us』(Yep Roc)を入れると、計6枚だが、『For the Best of Us』は、98年にリリースのザ・ジョン・ドォ・シング名義でリリースしたEP『For the Rest of Us』(Kill Rock Stars)にアウトテイクを加えたものなので、ここでは00年代のリリースとは数えない。

 

 トロントでセイディーズと共演したジョンは彼らの演奏を気に入り、ライヴ後の打ち上げで、長年、温めているアイディアを実現させるために力を貸してほしいと申し出たそうだ。

 

「飲みの席の約束は大抵、その場限りになるものだけど、ノーとは言えなかったのかな(笑)」とジョンはその時のことを振り返っているが、USパンクのレジェンドからの直々のオファーだ。しかも、ブラッドショットが99年にリリースしたニッターズのトリビュート・アルバム『Poor Little Knitter On The Road』にセイディーズは参加しているんだから、彼らに断る理由はなかっただろう。

Country Club』には0871日から10日間かけて、トロントにあるウッドシェド・スタジオ(注3)でレコーディングした全15曲が収録されている。

 

注3:カナダのカントリー・ロック・バンド、ブルー・ロデオ所有のレコーディング・スタジオ。ジョン・ラングフォードとセイディーズが共演した『Mayors Of The Moon』もここでレコーディングされた。

 

 スタジオでジョンとセイディーズが目指したのは、60年代のナッシュビル・ポップとベイカーズフィールドのホンキー・トンク・サウンドのレトロなスタイルのブレンド――60年代のカントリーが持っていたオーセンティックな魅力を、オーケストラルなアレンジを使わず、ソリッドなバンド・サウンドで表現することだった。

 それはウェイロン・ジェニングスのStop The World And Left Me Offをはじめ、15曲中11曲がジョニー・キャッシュ、ポーター・ワゴナー、ハンク・ウィリアムズら、カントリー界のレジェンドたちが主に5070年代に歌ったクラシック・ナンバーのカヴァーという選曲からも窺える。

 

「カントリー・ミュージックのお気に入りの時代なんだ。最初に演奏したカントリーもその時代の曲だった」(ジョン)

 

 つまりジョンによるクラシックなカントリーに対するトリビュートなのだから、(ニッターズの活動が)オルタナ・カントリーに先鞭をつけたUSパンクのレジェンドによるカントリーを期待しちゃいけない。30余年のキャリアを持つベテランにふさわしい円熟した魅力を味わいたい。ソロ転向後もロック色濃いアルバムを作り続けてきたことを考えると、『Country Club』は異色作と言えるかもしれない。

 

 因みにカヴァー以外の収録曲もXにおけるジョンのパートナー、イグジーンとジョンが共作(注4)した新曲「It Just Dawned on Me」、セイディーズが書き下ろした「The Sudbury Nickel」と「Pink Mountain Rag」というインスト・ナンバー、そしてセイディーズの「Before I Wake」(01年発表の3rdアルバム『Tremendous Efforts』に収録)のカヴァーとこれまた興味深いものになっている。

 

注4:ジョンのソロ・アルバムでは、ほぼ恒例に。そんな2人の共作は2度目のリユニオン以来、精力的にライヴを行いながら一向に新曲を作らないXもいつかは…と長年、ファンを期待させてきた。そして、今年4月、ついに新録の11曲を収録した『Alphabetland』をまずは配信リリース。Xが新作をリリースするのは27年ぶりのことだった。

It Just Dawned on Me」の演奏は前述したとおりカントリーだが、メロディーはまさにイグジーン&ジョン。2人にしか作り出せないものになっている。ここでイグジーンの代役を務めているのは、カナダのシンガー・ソングライター、キャスリーン・エドワーズ。Xがイグジーンとジョンのツイン・ヴォーカル・スタイルだったことを踏まえているのか、単に女性好き、いや、女声好きなのか、ジョンがソロ・アルバムを作る時は必ずと言っていいほど女性ヴォーカリストを迎えているのだが、ここにも前述したキャスリーン・エドワーズの他、ジョンの愛娘 ヴェロニカ・ジェーン・ドォ、ダラスとトラヴィスの母 マーガレット・グッド(注5)、ロサンゼルスの男女デュオ、デッド・ロック・ウエストのシンディ・ワッサーマンが参加。彼女たちとジョンが繰り広げるデュエットも聴きどころの1つだ。

 

注5:セイディーズ作品に度々、客演している。因みにマーガレットの夫、つまりダラスとトラヴィスの父 ブルースもこのアルバムに参加している。そのブルースは70年代から兄弟のブライアン、ラリーと組んだグッド・ブラザーズで活動してきたカナダのカントリー界のベテランだ。セイディーズの4人はブルース、マーガレット、ラリー、そしてブライアンの娘であるダーシーとグッド・ファミリー名義で、13年に『The Good Family Album』もリリースしている。

Thegoodfamily

THE GOOD FAMILY

 

 

 

Garthhudson  

Garth Hudson Presents: A Canadian Celebration Of The Band

Garth Hudson

10年 Curve

 カナダ人アーティストによるザ・バンドのトリビュート・アルバム。ガース・ハドソンはキュレーターとして、参加アーティスト(注6)の選択と選曲を担当するほか、全18曲の演奏に参加している。

 すでに何度か、ガースと共演経験があったことから(注7)、大抜擢されたセイディーズは「The Shape I’m In」を提供するほか、ニール・ヤングによる「This Wheel's on Fire」とメアリー・マーガレット・オハラによる「Out Of The Blue」の2曲で演奏を担当している。

 

注6:その他、ブルース・コバーン、カウボーイ・ジャンキーズ、グレート・ビッグ・シー、ブルー・ロデオらが参加した。 

注7:ガースとセイディーズの共演は、セイディーズのライヴ・アルバムで聴くことができる。因みに前述したグッド・ブラザーズは71年、ザ・バンドのツアーでオープニング・アクトを務めたという。

 

 ニールとのレコーディングは突然決まったようだ。ガースからの電話を受け取ったとき、ツアー中だったセイディーズはシカゴからウィスコンシンのマディソンに向かっているところだった。

「ニールとレコーディングできるぞ!」

 ガースの言葉を聞いた4人は早速、その夜のライヴをキャンセルすると、10時間ぶっ通しでヴァンを走らせ、ガースとニールが待つトロントのスタジオに駆けつけた。しかし、ニールの喉の調子が悪かったため、レコーディングは延期されることに……。 

「今から戻れば、次のライヴには間に合うかもしれない!」

 4人はヴァンに飛び乗ると、ウィスコンシンのグリー・ベイに向け、来た道を引き返していったという(涙)。

 その後、ニールがツアーでトロントを訪れ、ついにレコーディングは実現した。考えてみれば、セイディーズがあらかじめレコーディングしたベーシック・トラックにニールが後から歌とギターを重ねてもよかったはず。しかし、彼らはライヴ・レコーディングにこだわった。

バカでかい音でギターを鳴らすニールの前で、さすがのセイディーズも緊張したようだ。テイクを重ねた彼らは、休憩を挟んだあと、6テイク目でキメた。

「完璧だ!誰もトラックをいじるんじゃないぞ!」

 ニールの言葉を聞き、セイディーズの面々は胸を撫でおろしたことだろう。

 

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 メアリー・マーガレット・オハラによる「Out Of The Blue」でもセイディーズは、持ち前の奔放さが円熟を凌駕するメアリーの歌声を引き立てるため、手堅い演奏に徹している。

 

 ファンキーなロックンロールを、セイディーズらしいガレージ/サイケなウエスタン・ナンバーにアレンジした「The Shape I’m In」ほど、個性は主張できなかったものの、エキセントリックな魅力を持つベテラン2人との共演は強烈な刺激になると同時にセイディーズの評価をぐんと上げたんじゃないかと思う。

  

 

Nightandday

Night & Day

Andre Williams & The Sadies

12年 Yep Roc

 アンドレ・ウィリアムズとセイディーズによる『Red Dirt』以来13年ぶりとなる共演アルバム。レーベルによると、08年(注8)と10年のレコーディング・セッションからアンドレとセイディーズが共作した全13曲が収録されている。

 

注8:ダラス・グッドによるライナーノーツには、「このレコードの制作は06年の秋に始まった」と記されている。また、1回目のセッションがヘヴィ・トラッシュとセイディーズのジョイント・ツアー中に行われたことや、後述するドキュメンタリーの撮影が06年3月から07年7月までだったことを考え合わせると、1回目のセッションは06年だったんじゃないか?

 

 1回目のセッションはヘヴィ・トラッシュとのツアー中、ライヴのない2日を使って、ミシガンのベントン・ハーバーにあるレコーディング・スタジオ、キー・クラブにアンドレを招き、行われた。当時、ドラッグ依存と裁判を抱え、肉体的にも精神的にもボロボロだったアンドレにとって、少しでも救いになれば、と考えていたようだ。

 しかし、ドキュメンタリー(『Agile Mobile Hostile: A Year with Andre Williams』)の撮影隊を従え、スタジオに現れたアンドレはカメラの前で撮影隊が求めるエキセントリックなキャラクターを演じて、酒を飲み続けていたという。ヘヴィ・トラッシュのジョン・スペンサーとマット・ヴェルタ・レイ(注9)に加え、ケリー・ホーガン、サリー・ティムズ(ミーコンズ)、ダン・クロハ(ex.ゴリーズ)も参加したレコーディングは無事終了したものの、無理がたたったのか、その後、肺炎にかかってしまったアンドレは入院することに――。

 

注9:ジョンはジョン・スペンサー・ブルース・エクスプロージョンとして、00年の『The Black Godfather』(In The Red)に参加している。また、マットは01年の『Bait And Switch』(Norton)を、ビリー・ミラーとともにプロデュースしている。

 

 入院をきっかけにアンドレは自分の健康状態を省みたようだ。

 その2年後、前回と同じキー・クラブで行われた2回目のセッションに現れたアンドレは、「そんなアンドレ、それまで見たことがない!」とダラスがびっくりするほど健康になっていた。193月に82歳で亡くなるまで、アンドレは晩年も精力的にアルバムを作り続けたが、ひょっとしたら、ここが転機だったんじゃないか。

Night & Day』というタイトルは、1回目のセッションからの7曲を前半に、2回目のセッションからの6曲を後半に置いたアルバムの2部構成のみならず、そんなアンドレの変化も表しているらしい。

 

 ジョン・スペンサーがレコーディングの指揮を執った前半の7曲はブルース、およびR&Bの影響が色濃い演奏が聴きどころとなっている。歪ませたギターが凶暴なリフを奏でる「Bored」なんて、まるでジョン・スペンサー・エクスプロージョンみたいだ。 

 それが刺激になったのか、アートワークも手掛けたジョン・ラングフォード(ミーコンズ、パイン・ヴァレー・コスモノーツ、ウェイコ・ブラザーズ他)に加え、再びサリー、マットをゲストに迎えた2回目のセッションではセイディーズらしいカントリー・ナンバーに加え、グルーヴィーな演奏が新境地を思わせる「Don’t Take It」を、4人だけの演奏でものにしている。

 

 アンドレの歌声も70歳を超えているとは、にわかには信じられないほど力強い。

 

 

Strangerinmyland  

Stranger In My Land

Roger Knox & The Pine Valley Cosmonauts

13年 Bloodshot

 ブラック・エルヴィスの異名を持つ48年生まれのオーストラリアのカントリー・シンガー、ロジャー・ノックスがブラッドショットからリリースしたこのアルバムを聴き、筆者は初めてアボリジナル・カントリー――オーストラリアの先住民によるカントリーというジャンルが40年代からオーストラリアにはあることを知った。

Roger Knox and the Pine Valley Cosmonauts perform the Aboriginal Country & Western Songbook”とサブタイトルが付けらえたこのアルバムには、「Land Where the Crow Flies Backwards」をはじめ、そんなアボリジナル・カントリーのクラシックと言える曲が多数収録されている。

 プロデュースを手掛けたジョン・ラングフォードはアボリジナル・カントリーの歴史をまとめたクリントン・ウォーカーの著作Buried Country: The Story of Aboriginal Country Music(その後、ドキュメンタリーとサウンドトラック・アルバムも作られた)でロジャーの存在を知ったという。そして、オーストラリアを訪れた際、彼のライヴに胸を打たれたジョンは早速、アルバムの制作を持ち掛けたそうだ。

 朗々としたロジャーの歌声に魅了されたことももちろんだが、アボリジナル・カントリーのクラシックの数々が伝える虐げられたオーストラリアの先住民たちの物語が、かつてのポリティカル・パンクの闘士の問題意識とアクティヴィズムに火をつけたようだ。

「忘れられた曲の数々を掘り起こして、多くの人に聴いてもらうことで、もっと関わりを持って欲しかったんだ」(ジョン)

 当時、ロジャーがそれまでリリースしてきたアルバムは、ほとんどが入手困難になっていた。

 

Jonandroger

Jon Langford & Roger Knox

 

 レコーディングはデイヴ・アルヴィン、アンドレ・ウィリアムズ、ボニー・プリンス・ビリー、チャーリー・ルーヴィンら、ゲストも迎えながら、シカゴとロジャーが拠点としているタムワースで行われた。

 パイン・ヴァレー・コスモノーツ名義だから、うっかり見逃してしまいそうになるが、実は全12曲中7曲の演奏をセイディーズが担当している。他にダラス・グッド1人、ダラスとトラヴィス・グッドの2人が参加した曲もある。

 オーストラリアのミュージシャンが3曲の演奏を担当していることや少なくない数のゲストが参加していることを踏まえ、名義はパイン・ヴァレー・コスモノーツなのだと思うが、セイディーズに対するジョンの信頼の大きさが窺える。

 そんな期待に応え、セイディーズは本領発揮と言える演奏を繰り広げている。

  

 

Gorddownie

Gord Downie, The Sadies, And the Conquering Sun

Gord Downie, The Sadies, And the Conquering Sun

14年 Arts & Crafts Productions

 ゴード・ダウニーの熱情的なヴォーカルおよびセイディーズによる緊張感に満ちた演奏ももちろんだが、ゴードとの共演がこれ以前には、あまり見せてこなかったセイディーズのバックグラウンドを引き出したという意味でも聴きごたえあるものになっている。

 カナダの国民的人気ロック・バンド、トラジカリー・ヒップ(注10)のフロントマンだったゴードとセイディーズのよるこのコラボレーション・アルバムが作られた直接のきっかけは、07年にセイディーズがカナダのラジオ番組『FUSE』に出演した際、ゲストにゴードを招いたことだったが、そもそもセイディーズが番組にゴードを招いたのはゴードがトラジカリー・ヒップのツアーと彼が参加している環境保護団体、レイク・オンタリオ・ウォーターキーパーの支援プロジェクト(注11)に誘ってくれたことに対するある意味お返しだった。

 

注10:84年結成の5人組。カナダの首相、ジャスティン・トルドーもファンを公言していた。17年10月、ゴードが脳腫瘍のため、53歳という若さで亡くなったことを機に活動を停止した。

注11:ゴードはセイディーズをバックにランディ・ニューマンが27年のミシシッピ大洪水を歌った「Louisiana 1927」をレコーディングした。

 

 ツアーを共にすることで一気に関係を深めたゴードとセイディーズは番組の中でお互いのフェイバリットであるストゥージズ、ロッキー・エリクソン、ジョニー・キャッシュ他の曲を演奏しながら、このコラボレーションをこれだけで終わらせてはもったいないと感じたようだ。

 

「このアルバムは友情と(何が嫌いかということも含め)お互いの嗜好の一致、そして、俺たちならではと言えるサウンドを追求したいという思いから生まれたんだ」(ダラス・グッド)

 

 このアルバムにはその後、お互いに忙しいスケジュールをやりくりしながら時間をかけて作りあげた全10曲が収録されている。

 最初、ストゥージズを彷彿とさせるCrater、ギターのリフからしてもろに13thフロア・エレヴェーターズな「One Good Fast Job」、そしてブラック・フラッグか、ブラック・サバスかなんて言ってみたい「It Didn't Start to Break My Heart Until This Afternoon」を聴いた時は、セイディーズらしからぬ演奏に面食らったが、アルバムのバックグラウンドを知って、なるほど、セイディーズはこういう演奏もできるわけか、と感心させられた。

 メランコリックなウエスタン・ナンバー「The Conquering Sun」、サイデリックなフォーク・ロックの「Los Angeles Times」、ガレージとフォーク・ロックが絶妙に入り混じる「I'm Free, Disarray Me」といった、これぞセイディーズな曲の数々もかなりの充実ぶり。中でもトラヴィスがマンドリンを奏でるトラッド・フォーク・ナンバーが途中、カントリーに変化して、中期バーズを思い出させる「Devil Enough」は、このアルバムの隠れた聴きどころだ。

 アルバムの全体の印象として、ヴォーカリストとして圧倒的な存在感を放っているゴードに対して、セイディーズが一歩も退かずに互角に渡り合っているところが頼もしい。

 ゴードもきっと大きな手応えを感じていたことだろう。若々しいゴードの歌声に驚いたリスナーも少なくなかったようだ。

 リリース後、ツアーも行ったゴードとセイディーズがボストン公演で披露したガン・クラブの「Goodbye Johnny」のカヴァーが今年3月にセイディーズがリリースした『Archives Vol. 1 Rarities, Oddities and Radio: 1995-2019 』に収録されている。

 

Dinealone

Archives Vol. 1 Rarities, Oddities and Radio: 1995-2019 (Dine Alone)

 

 その他、作品の制作にまでは至ってはいないが、セイディーズは共に自分たちのアルバムにゲストとして招いたイギリスのカルト・ロッカー、ロビン・ヒッチコック、60年代から活躍しているカナダのシンガー・ソングライター、バフィー・セント・メリー(注12)のバック・バンドとしてもステージに立っている。

 

Robynhitchcock

Robyn Hitchcock

 

 02年にトロントで共演してからのつきあいだというロビンは、04年リリースのセイディーズの5thアルバム『Favourite Colours』(Yep Roc)収録の「Why Would Anybody Live Here?」でコ・ライティングとヴォーカルを担当。05年に計画していたセイディーズとのツアーはロビンが骨折したため流れてしまったが、その後、実現している。

「サイケデリックとカントリー。僕たちは同じものが好きなんだ。セイディーズはバーズの『ロデオの恋人』とピンク・フロイドの『夜明けの口笛吹き』の境界線上の最先端にいて、その両方を演奏できるんだ。そういうことができる連中は、それほどいない。彼らはトゥワンギーなサウンドもわかっているし、サイケデリックなサウンドもわかっているし、それを調和することもできる」

 そうロビンが語るとおり、セイディーズを従えたロビンがバーズ、シド・バレット時代のピンク・フロイド(注13)に加え、ボブ・ディラン、ザ・バンドの曲を演奏している15~16年のライヴ映像が多数、YouTubeにアップされている。

 

注12:セイディーズが13年にリリースした『Internal Sounds』(Yep Roc)で、自身の「We Are Circling」をセイディーズとともにセルフ・カヴァーしている。

注13:ジェイホークスのゲイリー・ルーリスをヴォーカルに迎えたセイディーズによるピンク・フロイドの「Lucifer Sam」のカヴァーが、セイディーズのライヴ・アルバム『In Concert Volume One』で聴くことができる。因みにゲイリー・ルーリスはセイディーズが10年にリリースした『Darker Circles』(Yep Roc)でメンバーとともにプロデュースを担当している。

 

「セイディーズとつるむのは楽しいよ。グッド兄弟、マイク、ショーンは、いい仲間なんだ」とロビンも言っているんだから、ライヴだけではなく、ぜひセイディーズとアルバムを作ってほしいものだ――と思いつつ、『Northern Passages』以来となる新作にも期待している。彼らのリリース・ペースを考えると、そろそろなんじゃないかという気がしている。

 

 

 

 

 

 

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NEIL YOUNGにKURT VILE。そして、ROBYN HITCHCOCKも! 世界最強のバック・バンドとしてのTHE SADIESのポテンシャル

Thesadies

[L-R] Travis Good(Gt/Vo) Sean Dean(Ba) Mike Belitsky(Dr) Dallas Good(Gt/Vo)
 
 

 オルタナティヴ・カントリー・シーンに突如現れたサーフ・ウエスタンなガレージ・バンドも今は昔。結成から四半世紀。13thフロア・エレヴェーターズとバーズのミッシングリンクと謳われる唯一無二の音楽性を確立したトロントの4人組、セイディーズは現在ではカナダが誇るロック・バンドの1つとして、その人気と評価を確かなものにしている。

 これまでリリースしてきたアルバムは、ライヴ盤やサントラも含めると、計11枚。

 その他、自分たちの活動だけにとどまらず、コラボレーションにも積極的に取り組み、さまざまなアーティストのバック・バンドとしても数々の作品を残している。

 バック・バンドとしての活動は、元々、インスト・バンドとしてスタートした彼らがゲスト・ヴォーカルを迎えたことから始まったんじゃないかと想像している。4人の演奏力や幅広いバックグラウンドがいつしか評判となり、噂が広がっていったのだろう。ダラス(Gt, Key, Banjo, Vo)とトラヴィス(Gt, Mandolin, Fiddle, Vo)のグッド兄弟がヴォーカルを取るようになってからも、唯一無二のセイディーズ・サウンドを求めるアーティストが後を絶つことはなかった。

 

 記憶に新しいところでは、USインディとアメリカーナを股に掛けた活躍が歓迎され、時代の寵児となったカート・ヴァイルが189月、ニューヨーク・シティの北に位置するキャッツキル山地で行ったジャム・セッションにセイディーズは、カートのバンドであるヴァイオレーターズやギタリストのマット・スウィーニーらとともに参加している。その様子は(Bottle Back)という20分ほどのドキュメンタリーと、そこから演奏シーンを抜粋した「Baby’s Arms」のMVで見ることができる。

 

Kurtvile

Kurt Vile

  

 「彼らの中には、たくさんの音楽が流れているんだよ。アンプのスイッチがオンになっていない時でさえね。常に音楽に共鳴しているんだ。みんなは彼らが楽器を持っている時に、それを聴いているけど、彼らと一緒にいると、まるでずっと鳴っているみたいに感じるんだ」(カート)

 

 もう何年も前にヴァンで一緒にツアーを共にしたことをきっかけに友達づきあいが始まったセイディーズとカートは、それからずっと「いつかコラボしたいね」と話し合っていたそうだ。

「それで、完成した曲をカートに送ったんだ。かなり厳しいしめきりを設定してね(笑)。そしたらカートが歌を入れて、送り返してくれたんだ」(ダラス)

「友達には俺たちのレコードで歌ってもらう。それがセイディーズの伝統なのさ」(トラヴィス)

 

 それが172月にセイディーズがリリースした9作目のオリジナル・アルバム『Northern Passage』に収録されている「It’s Easy (Like Walking)」。セイディーズらしいメランコリックなウェスタン・ナンバーと、ちょっと鼻にかかったカートのリラックスした歌声の組み合わせはなかなか新鮮だ。

 

Northernpassage

Northern Passage (Yep Roc)

 

 この記事のタイトルで謳った“世界最強”は、さすがに風呂敷を広げすぎたかもしれない。しかし、カートをはじめ、セイディーズがバックを務めたアーティストの顔ぶれを知ったら、とある世界においては、セイディーズ、確かに最強だ、と少なくない人が思うはず。

 

 その顔ぶれを、セイディーズがバック・バンドとして参加したアルバムの数々とともに紹介していこう。

 

 

Reddirt

Red Dirt

Andre Williams & The Sadies

99年 Bloodshot

 ドラッグに溺れ、80年代と90年代の前半を棒に振ったR&Bのレジェンド、アンドレ・“ミスター・リズム”・ウィリアムズの復帰に手を貸したのは、新興のインディ・レーベルと若いミュージシャンたちだった。

 この前年、ミック・コリンズとダン・クロハ(ともにex.ゴリーズ)と作った『Silky』(In The Red)で復活を遂げたアンドレが次に取り組んだのが、なぜかカントリー・アルバム。前年に『Precious Moments』(Bloodshot)でデビューしたセイディーズを従え(注1)、自作曲のみならず、「Pardon Me (I've Got Someone To Kill)」「Psycho」といったカントリー・クラシックのカヴァーにも取り組んでいる。トゥワンギーなウェスタン・サウンドはセイディーズの得意とするところ。4人はグルーヴィーな演奏でも見事、アンドレをバックアップしている。

 

注1:ダラスはレコーディングを振り返って、「アンドレは父のような存在であると同時に行儀の悪い娘のような存在でもあるんだ」と語っていた。

 

 因みにアンドレがオサー・ヘイズ、ヴァーリー・ライスと共作したR&Bヒット「Shake a Tail Feather」のアンドレとセイディーズによる99年のライヴ音源が、ブラッドショットのコンピレーション・アルバム『For A Decade Of Sin: 11 Years Of Bloodshot Records』で聴くことができる。

  

 

Mayors

Mayors Of The Moon

Jon Langford & His Sadies

03年 Bloodshot

 77年にイギリスのリーズで結成したパンク/ポスト・パンク・バンド、ミーコンズ、90年代半ば、第2の故郷であるシカゴで始めたウェイコ・ブラザーズとトリビュート・バンドのパイン・ヴァレー・コスモノーツ。その3つを軸としながら、他にもフォローしきれないくらい数々のプロジェクトを立ち上げてきたポリティカル・パンクの闘士改めオルタナ・カントリーの先駆者、ジョン・ボーイことジョン・ラングフォードとセイディーズの共演は、当時、ともにブラッドショットに所属していたことを思えば、それほど驚くべきことではなかった。

 02年のSXSWのブラッドショットのショーケースにパイン・ヴァレー・コスモノーツとして出演していたセイディーズを見ていたから、このアルバムがリリースされた時も、やはりそう来たかとニヤリとしたものだ。

 レコーディングはセイディーズに惚れこんだジョンがシカゴから彼らがいるトロントにまで出かけていき、トロントのカントリー・ロック・バンド、ブルー・ロデオ所有のスタジオで行われた。グレッグ・キーラー(ブルー・ロデオのメンバー)が差し入れたワインを飲んだり、ジョークを飛ばしあったりしながら、というリラックスした2日間のセッションから12曲が収録されている。全曲がジョンとセイディーズの共作だ。フォーク・ロックあり、ガレージ・ロックあり、カントリーありという曲の幅広さは、お互いにアイディアを持ち寄ったからこそ。

 セイディーズがカヴァーしたガン・クラブの「Mother Of Earth」をちょっと思い出す「Little Vampires」とサリー・ティムズ(ミーコンズ)とジョンがデュエットするアシッド・フォーキーなバラード「Shipwreck」の2曲は、いかにもセイディーズっぽい。そこには単なるバック・バンドの域にとどまらない貢献が聴きとれる。

 

 

Thetigers

The Tigers Have Spoken

Neko Case

04年 Anti-

 ニーコ・ケイスとセイディーズの共演は、これが初めてではない。まだオルタナ・カントリー・シーンで人気を確かなものにする以前の9899年に3枚のシングル(注2)を、セイディーズとレコーディングしているし、セイディーズをバックにライヴもやっている。

 

注2:それぞれセイディーズ、ウイスキータウン、ケリー・ホーガンとのスプリットだった。

 

 99年のSXSWでは、自分のステージを終えたニーコがセイディーズのステージに飛び入りした。

 

Nikoandthesadies

 

 ニーコはずっとセイディーズとアルバムを作りたいと思っていたそうだ。それがついにアンタイ・レコード移籍のタイミングで実現した。『The Tigers Have Spoken』がライヴ・アルバムになったのは、「私にとって、セイディーズとの最高の瞬間はライヴにある」とニーコが考えていたからだ。

 04年の3月~4月、シカゴとトロントで行ったライヴから選んだアルバム表題曲他の初出の新曲を含むオリジナル4曲とカヴァー7曲の計11曲が収録されている。新作として楽しんでほしいという配慮なのか、そのカヴァーもロレッタ・リンの「Rated X」以外は初出というところもうれしい。ロレッタ・リン、バフィー・セント・メリー、キャサリン・アーウィン(注3)、シャングリラス、ナーヴァス・イーターズ、そしてトラッド・フォーク/ゴスペル2曲という幅広いカヴァーの選曲は、そのままニーコのバックグラウンドを物語っているのだろう。

 このライヴ・アルバムがリリースされた当時はまだアメリカーナという言葉は今ほど使われていなかったように思うが、彼女がここで打ち出しているのは、まさにそのアメリカーナだった。カントリーのみならず、フォーク、R&B、ゴシック、ガレージ・パンク、ブルーグラス、ゴスペルも飲み込んだコズミックなサウンドを奏でる上で、セイディーズほど頼もしいバンドはいなかったに違いない。

 フィラデルフィアのブルーグラス・バンド、ジム&ジェニー・アンド・ザ・パイントップスを迎えたフォーク/ゴスペル・ナンバー「This Little Light」(注4)では、セイディーズのダラスがヴォーカルも担当。ニーコと熱い掛け合いを繰り広げ、終盤のクライマックスにふさわしい熱狂を作り出している。

 

注3:シカゴのオルタナ・カントリー・バンド、フリークウォーターのメンバー。ブラッドショットが99年にリリースしたニッターズのトリビュート・アルバム『Poor Little Knitter On The Road (A Tribute To The Knitters)』にセイディーズが提供した「Walkin' Cane」でヴォーカルを務める他、彼らとは共演経験がある。

 

注4:このアルバムにバッキング・ヴォーカリストとして参加しているキャロライン・マークとニーコがかつて組んでいたデュオ、コーン・シスターズでも取り上げていた。

  

 

Goingwayout

Going Way Out With Heavy Trash

Heavy Trash

07年 Yep

 たまたまニーコ・ケイス&ザ・セイディーズのライヴを見たジョン・スペンサーとマット・ヴェルタ・レイ(ex.マダー・ローズ、スピードボール・ベイビー)は、自分たちも彼らと一緒にライヴをやりたいと思ったそうだ。新たに始めたデュオ、ヘヴィ・トラッシュでセルフタイトルの1stアルバム(05年)を完成させたジョンとマットは、ツアーに出るため、ちょうどバック・バンドを探していた。

「俺たちと一緒にツアーに出ようぜ!」

「ヘヴィ・トラッシュ・バンドにならないかい?」

 そんな2人の申し出に対するセイディーズの返事は、即答で「イエス!」だったに違いない。05年から06年にかけて、セイディーズを従え、ツアーに出たヘヴィ・トラッシュの2人はその流れでセイディーズが06年2月3日と4日、トロントのリーズ・パレスに多くのゲストを迎え、開催したコンサートに出演。セイディーズとともに『Heavy Trash』収録のロックンロール・ナンバー「Back Off」と「Justine Alright」に加え、未発表のカントリー・ナンバー「Her Love Made Me」を披露した(注5)。

 

注5:その模様は、セイディーズが06年8月にリリースした2枚組ライヴ・アルバム『In Concert Volume One』で聴くことができる。このコンサートにはその他、ザ・バンドのガース・ハドソン、ニーコ・ケイス、ケリー・ホーガン、ブルー・ロデオ、ジョン・ラングフォード、デッドリー・スネークスのメンバーらが参加していた。

 

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In Concert Volume One (Yep Roc)

 

 そして、ライヴにおける共演に大きな手応えを感じたのだろう。ジョンとマットはヘヴィ・トラッシュとして2作目となるこのアルバムのレコーディングにセイディーズを起用して、全13曲中5曲の演奏を彼らに任せている(その他の曲は、ともにデンマークのバンドであるトレモロ・ビアー・ガットとパワーソロらとレコーディングしている)。

 自分たちの根っこにあるロカビリーやカントリーに今一度、取り組みながら、ジョン、マットともに幅広いバックグラウンドを持つ才気あふれるミュージシャンだから、もちろん単に懐古しておしまいなんてことになるわけはないのだが、その5曲を聴くかぎりセイディーズにはオーセンティックなロックンロール・サウンドを求めていたように思える。

 ウエスタン風味もあるガレージ・ロックの「Outside Chance」と語るようなジョンのヴォーカルがあやしい雰囲気を醸し出すスロー・ナンバー「You Can’t Win」は、それぞれセイディーズらしさやニューヨークのアンダーグラウンド・シーンを出自に持つジョンとマットの持ち味が感じられるが、それぞれにジョニー・キャッシュ、ドン&デューイ、エディ・コクランのトリビュートに聴こえる「That Ain’t Right」「They Were Kings」「Crazy Pretty Baby」のような遊び心と言うか、洒落っ気が感じられる曲にこそヘヴィ・トラッシュとセイディーズの共演ならではと言える真骨頂があるのかもしれない。ロックンロールが好きなら堪らないはずだ。

 その後も両者の交遊は続いているようで、19年5月、モントリオールにあるセイディーズのスタジオを、ジョンとジョンのソロ・アルバム『Spencer Sings The Hits!』(18年)に参加していたクワージのサム・クームズが訪れ、セイディーズのためにレコーディングを行ったそうだ。

  

 

Jerryteel

Jerry Teel And The Big City Stompers

Jerry Teel And The Big City Stompers

08年 Bang! 

 現在、拠点としているニューオーリンズで6作目のアルバムに取り組んでいるトラッシー・スワンピー・ロッキン・ブルース・バンド、チキン・スネークのフロントマン、ジェリー・ティール(Vo/Gt)がノックスヴィル・ガールズ(注6)の解散後、妻ポーリーンと始めた5人組、ビッグ・シティ・ストンパーズが唯一残したアルバム。

 そのレコーディングの一部にセイディーズは参加している。ひょっとしたら、元々はジェリーとポーリーンのデュオとしてスタートしたのかもしれない。

 

注6:ジェリーの元にキッド・コンゴ・パワーズ(ex.ガン・クラブ、クランプス)、ジャック・マーティン(ex.リトル・ポークチョップ)、ボブ・バート(ex.ソニック・ユース、プッシー・ガロア)、バリー・ロンドンが集結。ニューヨークのアンダーグラウンド・シーンのスーパーバンドと謳われながら、その類のバンドの常なのか、『Knoxville Girls』(99年)、『In Paper Suit』(01年)という2枚のアルバムを残して解散してしまった。

  

 80年代から90年代にかけてニューヨークのアンダーグラウンド・シーンで、ブロークンでジャンクなブルースを鳴らしたバンド、ハネムーン・キラーズ、ボス・ホッグ、クローム・クランクスでの活動や、ヤー・ヤー・ヤーズの作品の中で実は一番いいと個人的には思っているセルフタイトルのデビューEP01年)のエンジニアリングで知られるジェリーとセイディーズがいつ頃、どこでどう結びついたのか、はっきりとはわからない。

 可能性として高いのは、ハネムーン・キラーズおよびボス・ホッグ時代のバンドメイト、ジョン・スペンサーの紹介だろうか。ともあれ、リトル・ポークチョップ、前述したノックスヴィル・ガールズといったバンドで、自身のもう1つのルーツであるカントリー(注7)を追求しはじめたジェリーはセイディーズの存在を知り、彼らと演奏してみたいと思ったのかもしれない。ノックスヴィル・ガールズと同じようにマーダー・バラッドのタイトルからバンド名をつけるセンスにも同じ匂いを嗅ぎ取ったんじゃないか。

 

注7:ジェリーは80年にアラバマからバンジョーを持って、ニューヨークにやってきたという話がある。

 

 01年から02年にかけて、当時、ジェリーがニューヨークに所有していたスタジオ、ファンハウスでレコーディングした14曲中8曲が、エヴァリー・ブラザーズ、ジョニー・バーネット、ドック・ボッグス、ジョニー・キャッシュ&ジューン・カーター(注8)らのカヴァーというところが興味深い。唯一リリースしたアルバム『Welcome ToLittle Porkchop』の全12曲がカントリー、ロカビリー、ブルースのカヴァーだったリトル・ポークチョップ同様、このビッグ・シティ・ストンパーズも元々はカヴァー・バンドとしてスタートしたのかもしれない。

 

注8:67年のデュエット・アルバム『Carryin' On with Johnny Cash and June Carter』収録の「Long Legged Guitar Pickin' Man」をカヴァー。ここでのジューン役は、妻のポーリーンだ。

 

 セイディーズはジェリーと共作したバンジョーとフィドルが鳴る「Mc Call Mississippi Mosquito Scratch」、同曲にブルース色を若干加え、改変したと思しき「Mosquito Scratch Reprise」という2曲のインスト・カントリー・ナンバーにジョージ・ジョーンズの「I’m Gonna Burn Your Playhouse Down」とタウンズ・ヴァン・ザントの「Loretta」のカヴァーを加えた4曲の演奏を担当。熱気に満ちた演奏とともに存在感をアピールしている(その4曲以外にもトラヴィスとドラムのマイク・ベリツキーがが参加した曲もある)。

I’m Gonna Burn Your Playhouse Down」はジョージ・ジョーンズのオリジナルよりもギターのギャロッピングを強調した、いかにもなカントリー・サウンドだが、「Loretta」はカントリーとローリング・ストーンズの折衷とも言えるサウンドなのだからおもしろい。

 ストーンズはクランプスと並んで、その後のジェリーの人生に大きな影響を与えたバンドだそうだ。ビリー・ウォーカーのカントリー・ナンバーをカヴァーした「Down To My Last Cigarettes」は、ズバリのストーンズ風ロックンロールにアレンジしている。ジェリーの作による「Hillbilly Boogie」と「What Am I Supposed To Do?」の2曲は、ヒプノティックなブルース・ナンバー。そして、アルバムはサイケデリックなジャグ・バンド・サウンドをめくるめくるように鳴り響かせ、「Big City Stomp」で終わる。

 ここでいったん自分のキャリアを集大成したジェリーはこのアルバムをリリースした翌年、新たにチキン・スネークを結成する。12年のインタビューで、ジェリーはガース・ハドソンとセイディーズとニューヨークで共演したことは、チキン・スネークの活動のハイライトの1つだと語っている。

 

(つづく)

 


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CHICKEN SNAKE


 

 

 

 

 

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WILL SEXTON と AMY LAVEREがメンフィスで育む蜜月関係

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  『ふたりは友達? ウィル&グレイス』なんてシットコムがかつて人気を博したが、今回はウィル&グレイスではなく、ウィル&エイミー――つまり、ウィル・セクストンとエイミー・ラヴィールのことを書いてみたい。

 

 今年の3月、ウィル・セクストンがリリースしたソロ名義の『Don’t Walk The Darkness』は、多くのメディアから歓迎されたが、13年に移住したメンフィスと、それ以前に拠点としていたオースティンで吸収したものに加え、新たに培ったニューオーリーンズのコネクションを詰め込んだ、その『Don’t Walk The Darkness』は10年ぶりにリリースするソロ・アルバムにふさわしい集大成とも言える意欲作だったんだから、それも大いに頷ける。そういう作品をライヴ・レコーディングすることで、ウィルは50歳という年齢にふさわしい円熟と熟練を見事にアピールしてみせたわけだ。

 

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Don't Walk The Darkness (Big Legal Mess)

  

 知名度は兄であるチャーリーに一歩譲るものの、年齢を重ね、ウィルはますます脂が乗ってきたようだ。だったら、なぜ『Don’t Walk The Darkness』をリリースするまで10年かかってしまったのか? それはこの数年、エイミー・ラヴィールとの活動に時間を費やしてきたからだ。

 

 ウィルとエイミーの出会いは、音楽サイト「Rock, Roots, & Blues - Live!」掲載の2人のインタビューによると、12年のことだったそうだ。

 ルーサー・ディッキンソンのプロジェクト、ザ・ワンダリングで出会ったエイミーとシャノン・マクナリーが連名のEPChasing the Ghost Rehearsal Sessions』(12年)をリリースしてしまうほど意気投合。ザ・ワンダリングのツアーがひと段落してからも、「このまま2人でツアーを続けよう!」と盛り上がり、シャノンがツアーに連れてきたのが、シャノンの『Small Town Talk (Songs Of Bobby Charles)』(13年)に参加していたウィルだった。(※注1

 

注1:シャノンは06年にウィルの兄、チャーリーと連名で『Southside Sessions』というアルバムをリリースしている。

 

 それから1か月間、ツアーを共にするうち、「彼がずっといたらいいのに」と思うようになったエイミーはツアーが終わってからもウィルと連絡を取り続け、ルーサー・ディッキンソンがプロデュースした自身の4thアルバム『Runaway's Diary』(14年)のレコーディングにウィルを招いた。

 

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Runaway's Diary (Archer)

 

 「エイミーは俺をオースティンからメンフィスに連れ出したんだ」

 

 そして、2人は結婚。ウィルは新天地メンフィスで新たなキャリアを歩き始めることに--。

 

 

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 ワンダ・ジャクソンを演じた『ウォーク・ザ・ライン/君につづく道』をはじめ、端役でいくつか映画にも出演している美貌のシンガー・ソングライター/ベーシスト、エイミー・ラヴィールは、アメリカーナ界隈ではすでにそれなりに知られた存在だが、ルイジアナで生まれたのち、アメリ各地を転々としてきた彼女のキャリアがなかなかおもしろい。

 ミュージシャンとしてのスタートは、デトロイトのパンク・バンドだったそうだ。しかも、ドラマー兼ヴォーカリストだったという。

 その後、自身のルーツであるカントリー(注2)に立ち返った彼女は90年代の初め、ナッシュビルでゲイブ・クーデラザ・ゲイブ&エイミー・ショーを結成。ベース初心者だったエイミーにベースの弾き方を教えた当時の夫、ゲイブは、なんとカーネル・JD・ウィルキス率いるレジェンダリー・シャック・シェイカーズのメンバーだったんだから驚きだ(注3)。

注2:ドリー・パートンとジョニー・キャッシュに影響を受けたそうだ。

注3:ハンク・ウィリアムズ3世のベーシスト、ジェイソン・ブラウンに教わったという記事もある。

 

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98年頃のTH' LEGENDARY SHACK SHAKERS 一番左がゲイブ?

 

 99年にメンフィスにやってきたゲイブとエイミーは、しばらくザ・ゲイブ&エイミー・ショーとして活動を続けたものの、大きな成功を収められないまま、03年に破局してしまった。

 その後、サン・スタジオで働きながら、ソロ・アーティストとして活動を始めたエイミーがチャンスを掴むには数年が必要だったが、アーチャー・レコードやミュージック+アーツ・スタジオを所有しているワード・アーチャーに見出されてから、彼女が注目を集めるまで、それほど時間はかからなかった。064月に『This World Is Not My House』、075月に『Anchors & Anvils』(注4)と立て続けに2枚のアルバムをリリースした彼女はその後、多くの人をその魅力の虜にしていった――。

  

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Anchors & Anvils (Archer)

注4:エイミーの出世作となった2ndアルバム。レコーディングはジム・ディッキンソンをプロデューサーに迎え、ミシシッピ州コールド・ウォーターにあるディッキンソンのスタジオ、ゼブラ・ランチで行われた。

  

 『Runaway's Diary』でプレイしたウィルは、その後、14年から16年にかけて、エイミーによる『Runaway's Diary』のツアーに参加した。エイミーとのデュオで行われた、そのツアーの副産物と言うか、1つの成果と言えるのが、エイミー・ラヴィール&ウィル・セクストン名義で、155月にリリースした『Hallelujah I'm a Dreamer』だ。

 

Hallelujah

Hallelujah I'm a Dreamer (Archer)

  

 同アルバムにはエイミーがこれまで発表してきた楽曲のリアレンジ・ヴァージョンにウィルとエイミーによる共作曲、アルバム未収録のカヴァーを加えた全11曲が収録されている。ルーサー・ディッキンソンも加えたトリオでステージに立つこともあったという『Runaway's Diary』のツアーの親密さを捉えることもテーマの1つとしてあったのだろう。

 151月、メンフィスにあるミュージック+アーツ・スタジオでエイミーのバッキング・バンドのギタリスト、デヴィッド・クーザーをサポートに迎え、ライヴ・レコーディングしたことによって、親密さのみならず、彼女の元々の持ち味であるジャジーでノワールな魅力がより際立った印象もある。

 エイミーとウィルの連名とは言え、あくまでもエイミーの『Runaway's Diary』のツアーから派生した作品だ。ウィルはエイミーと共作およびデュエットした「It’s The Thing To Do」とリード・ヴォーカルを担当したオースティンのシンガー・ソングライター、ビル・カーターの「Lesson」のカヴァーでジェントルな歌声を披露しているが、それ以外では味わい深いアコースティック・ギター使いと控えめに加えたハーモニーでエイミーのバックアップに徹している(ルイジアナのシンガー・ソングライター、デヴィッド・イーガンの「Dreamer」のカヴァーで奏でるスパニッシュなギターの響きは絶品だ)。

 クレジットこそないものの、プロデューサーという意識もあるのだろう。

 

 その感覚、そして手腕はその後、存分に発揮されるのだが、ウィルはさらにエイミーがジョン・ポール・キース(注5)と12年に始めた50’s60’sスタイルのカントリー・デュオ、モーテル・ミラーズにも参加。セルフタイトルの1stアルバムから5年ぶりのリリースとなった2ndアルバム『In The Meantime』(18年)では正式メンバーとしてソングライティングに加え、自作の「Do With Me What You Want」ではリード・ヴォーカルも担当している。

 

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MOTEL MIRRORS

  

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In The Meantime (Last Chance)

 

注5:94年、テネシー州ノックスビルでV-ロイズの結成に参加。その後、ネヴァーズ、ハヴノッツ、ライアン・アダムスのピンクハーツ、ステイトサイドといったバンドを経て、00年代半ば、ジョン・ポール・キースは新天地メンフィスでソロ・アーティストとして再出発した。これまでソロ名義で4枚のアルバム、モーテル・ミラーズで2枚のアルバムをリリースしている他、セッション・ギタリストとしても活躍。目下の最新ソロ・アルバム『Heart Shaped Shadow』(18年)は、ウィル・セクストンによるプロデュースだ。

 

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Heart Shaped Shadow (Last Chance)

 

 そして、エイミーが19年にリリースした5thアルバム『Painting Blue』では、全9曲のギターはもちろん、プロデュースも担当。ジャズ、ファンク、カントリー、ブルースのエッセンスも取り入れながら、アメリカーナの一言には収まりきらないコンテンポラリーなシンガー・ソングライターとしてのエイミーの魅力を打ち出すことに貢献している。

  

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Painting Blue (Archer)

 

 ところで、選曲の妙が光るカヴァーは毎回、エイミーのアルバムの聴きどころの1つだが、『Painting Blue』でも興味深い3曲を取り上げている。

 その3曲とは、イギリスのシンガー・ソングライター、ジョン・マーティンのI Don’t Wanna Know、オースティンのシンガー・ソングライター、ビル・ハレーの「Stick Horse Kid」、そしてロバート・ワイアットによる滋味あふれる歌唱で知られるエルヴィス・コステロの「Shipbuilding」。

 「I Don’t Wanna Know」「Shipbuilding」は、16年のトランプ政権誕生および、それ以降の社会の分断に対するリアクションというアルバムのテーマに繋がるものらしい。「Shipbuilding」については、曲に込められた反戦のメッセージではなく、ただ曲が持つ美しさを伝えたくて選んだという情報もあるが、それを言ったら、「I Don’t Wanna Know」も同じだろう。ジミー・デイル・ギルモアやジョー・イーリーといった同世代の盟友たちを魅了したビル・ハレーの曲を取り上げたのは、彼と共演経験があるウィルのアイディアだったのでは。

 因みにアルバムの最後を飾る、たおやかなロックンロール・ナンバー「Painting Blue On Everything」には、デヴィッド・ボウイやイギー・ポップと共演歴があるハント・セイルスと彼のバンドのギタリスト、トゥヤーコ・ジーンが参加している。ハントはハント・セイルス・メモリアル名義で、19年にビッグ・リーガル・メスから『Get Your Shit together』というソロ・アルバムをリリースしているが、ハントをメンフィスに招き、ビッグ・リーガル・メスに紹介したのは、オースティンで彼と共演したことがあるウィルだった。その時、エイミーはウィルとともにハントと同じステージに立っている。

 

 なるほど。出会ってからずっと彼女との活動に多くの時間を費やしてきたんだから、『Don’t Walk The Darkness』がウィルにとって前作から10年ぶりのリリースになってしまったのも頷ける。その他、ビッグ・リーガル・メスのハウス・バンドとして数多くのレコーディングに参加しているのだ。17歳でメジャー・デビューしてから33年。エイミーと蜜月関係を育んでいることも含め、ウィルはミュージシャンとして、今一番充実しているんじゃないか――と、ここまで書いてきて、筆者は気づいたのである。

 エイミーの周りには常にウィルをはじめ、才能を持った多くの男たちがいることを。『Painting Blue』のブックレットを眺めながら、ジャケットに使われている絵が、エイミーの元夫、ガブリエル(ゲイブ)・クーデラの筆によるものだと知った時は、ちょっとぞくっとした。

 

 

 

 

 

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ALABAMA GHOST MUSICを掲げるTHE PINE HILL HAINTSのユニークすぎる音楽観

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 アラバマ・ゴースト・ミュージックを掲げ、97年から活動を続けているアラバマ州フローレンスの5人組、パイン・ヒル・ハインツがアラバマに音楽の理想郷を作ろうとしているシングル・ロック・レコードから7インチ・シングル『Satchel Paige Blues / Whiskey In The Jar』をリリースした。今後、アルバムをリリースする予定もあるという。

 

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Satchel Paige Blues / Whiskey In The Jar (Arkam / Single Lock)

 

 

 グラミー受賞歴を持つシンガー・ソングライター、ジョン・ポール・ホワイトとアラバマ・シェイクスのキーボード奏者、ベン・タナーが運営に関わっているシングル・ロックのレーベルイメージは、ハインツが新たなリスナー層にアピールする、いいきっかけになるはずだ。

 

 なぜなら、自主レーベルのアーカムやワシントン州オリンピアのインディ・レーベル、Kから数々の作品をリリースしてきたハインツは、これまでサイコビリーやパンクのイメージで捉えられることが多かったんじゃないかと思うからだ。もちろん、それもハインツの魅力には違いない。しかし、彼らが奏でるアラバマ・ゴースト・ミュージックは決してサイコビリーやパンク・ファンのためだけのものではない。

 そのユニークな魅力が、ルーツ・ミュージックを愛する、より多くのリスナーに伝わることに期待している。

 

 ハインツがいかにユニークな音楽観を持っているか。

 それは後述するようにジャグ・バンド編成の彼らがバンドのフェイスブックで、「おすすめアーティスト」として挙げているバンド/アーティストの顔ぶれから想像できる。彼らが挙げている順通りに記してみる――ミスフィッツ、ダイナソーJr.、ハンク・ウィリアムズ、ジョージ・ジョーンズ、プランクシティ、フガジ、エチオピアンズ、デズモンド・デッカー、ポーグス、ダブリナーズ、レッドベリー、ジミー・ロジャーズ。

 ジャンルで言ったら、パンク、グランジ、カントリー、アイリッシュ・トラッド、レゲエ、フォーク、ブルースと実に多岐に渡っているが、そんな影響を巧みに消化した上で、彼らはスケートボーダーらしいスピード感やクランプス譲りと思しきB級ホラー趣味、さらにはサザン・ゴシックのノスタルジーも加えながら、唯一無二のアラバマ・ゴースト・ミュージックを作り出している。

 

 そんなハインツのスタートは、アラバマのリプレイスメンツと謳われたウェンズデイズのジェームズ・ザ・ファングことジェイミー・バリアーがスケートボード仲間たちと、大好きな音楽をただ楽しむためだけに演奏し始めたことだった。それがいつしか本気の活動に変わっていった。バンド名はジェームズのホームタウンであるアラバマ州オーバーンにあるパイン・ヒル墓地に因んで、パイン・ヒル・ハインツ=パイン・ヒルの幽霊とした。ジェイミーはそこで歌の練習をしていたそうだ。

 現代の商業音楽の世界では、もはや死んだも同然の米国南部由来のルーツ・ミュージックを演奏する彼らにはふさわしい名前だった。商業主義の荒野に蘇った音楽。ジェイミー曰く、それがアラバマ・ゴースト・ミュージック。そこにはパンク・シーンから受け継いだアンチ・コマーシャリズムも感じられる。

 

 結成からメンバー・チェンジを繰り返してきたハインツの現在のラインナップは以下の通り。

 

 ジェイミー・バリアー:ギター、ヴォーカル、フィドル

 ケイティ・キャット・バリアー:マンドリン、シンギング・ソー、ウォッシュボード

 スティーヴ・ルブラン:ウォッシュタブ・ベース

 ジャスティン・ウォード:アコーディオン、トロンボーン

 JR・コリンズ(ex. THE IMMORTAL LEE COUNTY KILLERS):スネア・ドラム 

 

 ハインツがこれまでリリースしてきたアルバムは計11枚。

 来日公演が実現した14年にリリースにした『The Magik Sounds Of The Pine Hill Haints』を最後に曲も提供していたマット・バクラが抜け、ウォッシュタブ・ベースとヴォーカルに加え、彼が担当していたバンジョーがアンサンブルから減ったせいか、目下の最新アルバムである『Smoke』(17年)では歪ませたギターの音色が目立ってきた。しかし、その一方では「The Col's Last Mardi Gras」他で鳴るトロンボーンが新たにニューオーリンズ風味を加えているし、盟友であるカーネル・JD・ウィルキス(レジェンダリー・シャック・シェイカーズ)がエネルギッシュにハーモニカを鳴らす曲では、タフなブルース・バンドの一面が聴きどころに。

 もちろん、フォーク・ダンスでお馴染みの「Buffalo Girl」の楽しいカヴァーも聴き逃せない。

 

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Smoke LP (Arkam)

 

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Smoke CD (Arkam)

 

 ハインツがシングル・ロックと契約したというニュースを聞いてからずっと彼らの作品を聴き返しているが、聴きながらアラバマ・ゴースト・ミュージックの魅力に、どんどんはまっていっている。

 シングル・ロックからリリースするという12作目のアルバムが待ち遠しい。ハインツは、どんな作品を届けてくれるんだろうか? これまでほぼ1日でアルバムをレコーディングしてきたハインツのことだ。もうすぐにでも聴かせてくれそうな気がしている。

 

 

 

 

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2000年代前半のUSインディ界隈で人気だったCLEM SNIDEがAVETT BROTHERSのバックアップで復活

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 まだ2か月残っているが、2020年上半期のベストワンは、クレム・スナイドによる5年ぶり、プライベート盤を除けば、実に10年ぶりとなる新作『Forever Just Beyond』で決まりだと言ってしまおう。いや、下半期、これを超える作品が出るかどうか、という気もしている。

 その『Forever Just Beyond』。アヴェット・ブラザーズのスコット・アヴェットがプロデュースをはじめ、全面バックアップしているんだから(注1)、クレム・スナイドとアヴェット・ブラザーズを愛する筆者にしてみたら、ただただ至福でしかないわけだけれど、そんな共演が実現したきっかけを考えると、ちょっと複雑な気持ちにもなってしまう。

 

注1:リリースもアヴェット・ブラザーズのマネージメントが持っているレーベル、ラムスール・レコードからだ。

 

 91年にボストンでイーフ・バーズリー(Vo, Gt)を中心にノイジーなジャズ・パンク・バンドとしてスタートしたクレム・スナイドは96年、ニューヨークでグランジィな響きを持つ風変わりなオルタナ・カントリー・バンドとして再スタートした。

 2ndアルバム『Your Favorite Music』(00年)でメジャー・デビューも経験した彼らは00年代前半のUSインディ・シーンでチェンバー・ポップのアンサンブルも魅力のオルタナ・カントリー・バンドとして人気を集めた。

 

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 その後、チェロ奏者のジェイソン・グラッサーがバンドを抜け、パリに移住したことをきっかけにイーフのソロ・プロジェクト化が進む中、バンドは07年にいったん解散してしまうが、イーフはソロ名義の活動をスタートさせる一方で、『Rocket Science』(07年)を皮切りに劇伴にも取り組み始めた。

 それ以降、『イエロー・ハンカチーフ』(08年)、『君が生きた証(Rudderless)』(14年)といった日本でも公開された映画の劇伴を手掛けながら、クレム・スナイドを再編して、アルバムをリリースしたり、ツアーしたり、ソロー・アーティストとして活動したり、イーフは悠々自適にやっているんだとばかり思っていた。

 しかし、複数のメディアが伝えるところによると、実際はこの数年、破産を申し立てなければならないほど経済的に追いこまれ、音楽だけは家族を養えず、日雇いの仕事にも就いていたという。

 どうやら、音楽活動にも行き詰まっていたようだ。

 そんなとき、ファンからイーフの元にスコット・アヴェットがクレム・スナイドの曲を演奏しているライヴ映像とスコットがクレム・スナイドの音楽について語っているインタビュー記事が送られてきた。

 

 イーフは早速、マネージメントを通してスコットに連絡を取ったそうだ。現在の状況を打破するには、誰かの助けが必要だと考えたのだろう。すると、スコット本人から返事が戻ってきた。そして、イーフとスコットのコラボレーションが始まった。

  

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 『Forever Just Beyond』には、ネットでやりとりしながら、時間をかけて2人で作った曲が収録されている。

 

 レコーディングはアヴェット・ブラザーズの本拠地であるノース・カロライナの農場にあるスコットのアトリエで行われた。

 プロデュースも買って出たスコットがイーフのために集めたミュージシャンは、アヴェット・ブラザーズのチェロ奏者、ジョー・クォンとドラマーのマイク・マーシュ。バンド・オブ・ホーセズのベーシスト、ビル・レイノルズ、オールド・クロウ・メディスン・ショーのフィドルおよびバンジョー奏者、ケッチ・セコー。そして、アヴェット・ブラザーズのレコーディングに参加してきたプロデューサー/エンジニアのダナ・ニールセンが2曲でサックスを加えている。

 

 ジェイソン・グラッサーがアレンジに腕を振るっていた00年~01年頃のクレム・スナイドを思い出させると昔からのファンに歓迎される一方で、イーフがアクの強い歌声で紡ぎ出すメランコリックでビタースウィートなメロディとスコットによる美しいハーモニーが溶け合うさまは、もはやイーフとアヴェット・ブラザーズのコラボレーションと言ってもいいのでは。共作しているんだからあたりまえと言えば、あたりまえだが、フォークとカントリーという共通するバックグラウンドを持つイーフとスコットだ。そもそも相性が悪いわけがない。

 イーフとスコットがデュエットする「Denial」のメロディは、どことなくアヴェット・ブラザーズっぽい。

 

 かつて多くのリスナーの気持ちを掴んだクレム・スナイドのクラシック・サウンドを今一度蘇らせながら、それだけで終わらないところが、『Forever Just Beyond』の一番の聴きどころ。そうじゃなきゃ、スコットと『Forever Just Beyond』を作った意味がない。

 

 イーフも『Forever Just Beyond』について、こんなふうに言っている。

 

「このレコードは、最初からやり直すという追求を表現しようと挑んでいる僕そのものなんだ」

 

 50歳からの再スタート。

 失意の中で見出したチャンスを、しっかりと掴んで離さなかっただけではなく、キャリアのピークを更新する作品を作り上げたイーフと、彼をサポートしたスコットに心から拍手!

 

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Forever Just Beyond (Ramseur / Thirty Tigers)

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AMERICAN AQUARIUMも! JAIME WYATTも! SHOOTER JENNINGSがプロデューサーとして活躍を始めた!!(つづき)

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Jaime Wyatt

 

 172月にリリースした『Felony Blues』が歓迎され、ジェイミー・ワイアットは、さらなる飛躍のチャンスを掴んだ。

 新たにニュー・ウエスト・レコードと契約を結んだ彼女が529日にリリースする『Neon Cross』は、シューター・ジェニングスによるプロデュース。ホンモノのアウトローと謳われながら、意外にポップだった『Felony Blues』よりも、彼女が多くのリスナーから求められているものに近い作品になるんじゃないか、と期待している。

 ロサンゼルスを拠点にしているジェイミーが、なぜホンモノのアウトローと言われるようになったのか。その理由については、以前、NIKKI LANEだけじゃない!カントリー・シーンを騒がせるバッド・ガール達」という記事に書いているから、ここでは繰り返さない。

 

 再び音楽活動を始めたジェイミーを、シューターはツアーのサポート・アクトに起用したり、『Felony Blues』のレコーディングに自分のバンドからテッド・ラッセル・カンプ(Ba)とジョン・シュレフラーJr.Gt)を参加させたり、さまざまにバックアップしてきた。だから、『Neon Cross』で実現したコラボレーションも2人にとっては念願だったに違いない

 

「彼は私の友だちではあるけれど、あのシューター・ジェニングスなのよ!」

 

 そんなふうに興奮を隠さないジェイミーが今回、シューターとのレコーディングで最も感心させられたのが、グルーヴに対するこだわりと型にはまらないアレンジのアイディアだった。

 

「シューターはグルーヴってものをわかっていて、歌の土台となるパワフルなグルーヴを、どうバンドに作らせたらいいか、それを指示する方法もちゃんと心得ているのよ。突拍子もないことを言い出すのは、ウェイロン譲りね。ウェイロンはファンキーなロックンロールのグルーヴを持った、ちょっと普通じゃないと言うか、ヤバいカントリー・ソングを常にやっていて、一筋縄じゃ行かないところがあったじゃない? シューターもそれと同じ本能を持っているんだと思う。『Neon Cross』の曲に対して、私はしっかりとしたヴィジョンを持っていたんだけど、たとえば、私が明らかにバック・オウエンズ調と考えていた曲に対して、シューターは予想もしていなかったロックからの引用を提案するんだもの! でも、なぜだか、それがハマるんだから。彼とのレコーディングでは、そういうことが自然に起きるのよ」

 

 曲ごとにミュージシャンの顔ぶれが変わった『Felony Blues』と違って、テッドをはじめ、シューターのバンドのメンバーとゲスト(注1)が総力を挙げ、バックアップした『Neon Cross』にはソウルフルだったり、ロッキンだったり、ホンキー・トンキンだったり、バラードやデュエットもあったりとカントリーということだけにとどまらない魅力を持った多彩な全11曲が収録されているという。

 

注1:ジェシー・コルター(Vo)、故ニール・カサール(Gt)が参加しているそうだ。

 

 MVにはシューターも出演しているアルバム表題曲のNeon Crossは、アンセミックな魅力もあるロッキンなカントリー・ナンバーだが、この1曲を聴いただけでも『Neon Cross』におけるジェイミーのスケールアップが窺える。

 

Neon Cross』は、『Felony Blues』以上に大歓迎され、ジェイミーの存在は、さらに多くの人たちに知られることになるだろう。

  

 

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Neon Cross (New West)

 

 ところで、ジェイミーをシューターに引き合わせたのは、実は、ジェイミーが14年までメンバーだった女性トリオ、キャリコ・ザ・バンドのサポートもやっていたテッドだったんじゃないか、と想像している。

 テッドもまた、シューターに負けないくらいジェイミーの才能を買っているようだ。

 精力的にソロ活動もしているテッドは18年にリリースしたソロ・アルバム『Walkin’ Shoes』のレコーディングにジェイミーを招き、Heart Under Pressureをデュエットしている。

 

 

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HELLBOUND GLORY

 

 アウトロー・カントリー? よせやい、そんな大層なもんじゃねえよ、とでも言いたいのだろうか、自ら“スカムバッグ・カントリー”を掲げるヘルバウンド・グローリーは結成から18年が過ぎた現在では、リロイ・ヴァージル(Vo, Gt)のソロ・プロジェクトとなっている。

 ネバダ州リノで02年にリロイを中心にバンドを結成してから順調に3枚のアルバムをリリースしながら、その後、解散の危機に直面していたリロイを救ったのがシューターだった。シューターは自分のレーベル、ブラック・カントリー・ロックにリロイを迎え、6年ぶりの復活作となる4thアルバム『Pinball』(17年)の制作を、レーベル・オーナーとしてのみならず、プロデューサーとしてもバックアップした。レコーディングで演奏を務めたのは、もちろんテッド・ラッセル・カンプをはじめとするシューターのバンドのメンバーたちだ。

 

「リロイは俺の親友なんだよ。数少ない真の仲間の1人さ。この男がこの国で最も偉大なシンガー、そしてソングライターの1人として、歴史に残ることは間違いない」とシューターは『Pinball』をリリースしたとき、リロイを絶賛。

 それに対して、リロイは「シューター? 奴は俺にとって、いとこみたいなもんさ」と笑いながら答えている。

 

 ファースト・ネームの発音を尋ねられ、「リロイでも、エルロイでも呼びたいように呼んでいいよ。俺自身、その時の気分で変わるんだからさ」と、のんきに答えるリロイは、小さなことにはこだわらない、なかなか太っ腹な男のようだ。

 

 ヘルバウンド・グローリーがこれまでツアーで共演してきたのは、キッド・ロック、バックチェリー、ZZトップ、レヴァレンド・ホートン・ヒート、スーパーサッカーズ。その顔ぶれから、どんなアティテュードの持ち主かが想像できる。

 

 65日にリリースする『Pure Scum』は、リロイの生まれ故郷であるワシントン州アバディーンを、かつて震撼させた連続殺人鬼 ビリー・ゴールを題材にした前作『Streets of Aberdeen』(18年)から2年ぶりとなる6作目のアルバムだ。

 再びシューターがプロデュースを手掛け、彼のバンドのメンバーが参加。トラッド・ソングのカヴァー2曲を含む全10曲を、わずか2日でレコーディングしてしまったという。

 

そんな『Pure Scum』について、リロイはこんなふうに言っている。

 

「ヘルバウンド・グローリーがこれまで作ってきた中で、最もクラシックなカントリー・アルバムさ。んで、一番クズなんだ」

 

 つまり、これまでで一番の自信作ということだろう。リロイの自信は、アルバム・タイトルにもしっかりと表れている。

  

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Pure Scum (Black Country Rock)

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