やっと出会えたと思ったら、もうこの世にいなかったなんて、あまりにも寂しすぎるじゃないか。PORTER & THE BLUEBONNET RATTLESNAKESが遺した渾身の1枚

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2016年10月19日、ノース・カロライナ州スミスフィールドにほど近い州間高速道路で3人のミュージシャンを乗せたヴァンが後ろから猛スピードで走ってきた大型トラックに追突されるという大事故が起きた。
 
3人のミュージシャンの内、クリス・ポーター(Vo, G)とミッチェル・ヴァンダーバーグ(B)は絶命。もう一人のアダム・ナーリー(Dr)も一命は取り留めたものの、重傷を負った。
 
前夜、サウス・カロライナ州チャールストンで演奏した3人は、次の公演地であるメリーランド州ボルチモアに向かうところだったという。
 
それから約1年が過ぎた2017年11月、アラバマのインディ・レーベル、コーネリアス・チャペルがリリースしたポーター&ザ・ブルーボネット・ラトルスネークスの『Don’t Go Baby It’s Gonna Get Weird Without You』というアルバムがアメリカン・ロックのファンの間で話題になった。
 
 
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Don't Go Baby It's Gonna Get Weird Without You (Cornelius Chapel)
 
 
その『Don’t Go Baby It’s Gonna Get Weird Without You』はスミスフィールドの追突事故で亡くなったクリス・ポーターが事故に遭う8か月前、腕っこきのミュージシャン達と作り上げた渾身の1枚だったのだ――。
 
80年にアラバマ州ペル・シティーで生まれたクリス・ポーターは、チャンスを掴もうとやってきたアラバマ州最大の都市、バーミングハムで本格的に音楽活動を始めたという。それが02年。それからクリス・ポーター&ザ・ストールン・ローゼズを皮切りにバック・ロウ・バプティスツ、サム・ダーク・ホラーというバンドも結成。バック・ロウ・バプティスツ、サム・ダーク・ホラーでは、それぞれに『Broken Hearts & Bad Decisions』(10年)、『Hollow Chest』(12年)というアルバムもリリースしている。
 
その後、ソロに転じて、13年にはジョン・ポール・ホワイトのレーベル、シングル・ロックに所属しているバンド、ザ・ポリーズとポーター&ザ・ポリーズ名義でデジタル・オンリーのEPをリリース。
 
 
 
 
 
 
そして、14年に新天地を求め、バーミングハムから移り住んだテキサス州オースティンでセントロ・マティックの元メンバー、ウィル・ジョンソンの協力の下、ソロ名義のアルバム『This Red Mountain』をレコーディング。それを15年にリリースしたところ、ポーターの存在はにわかに注目され始め、その追い風を感じながらポーターが再びウィルと組んで作ったのが、『Don’t Go Baby It’s Gonna Get Weird Without You』だったのだ。
 
『This Red Mountain』の反響に手応えを感じたのだろう。『Don’t Go Baby It’s Gonna Get Weird Without You』を作るにあたって、ポーターとウィルはレコーディングのメンバーを一新。“アメリカの実生活のダークで絶望した物語”を歌うポーターの評判を全国区のものにするのにふさわしいミュージシャンを、オースティンのランブル・クリーク・スタジオに招いた。 
 
その顔ぶれは――。 
 
人気急上昇中のシンガー・ソングライター、ジョン・モアランドのサイドマンとしても注目されているシンガー・ソングライター兼マルチプレイヤー、ジョン・カルヴィン・アブニー(ギター、キーボード、アコーディオン、ペダル・スティール他)。新世代サザン・ロックの旗手、ドライヴ・バイ・トラッカーズの元メンバー、ショナ・タッカー(ベース、ハーモニー・ヴォーカル)。ドラムはプロデューサーを務めたウィルが自ら演奏した。
 
アメリカン・ロックを熱心に聴いているリスナーなら、思わず「おおっ」と身を乗り出すにちがいないミュージシャン達が奏でるのは、カントリーやブルース~ブギの影響を滲ませながら、たっぷりと歪みも含んだルーツィーなロック・サウンドだ。
 
00年代前半だったらオルタナ・カントリーと言われていただろう。中にはシンセサイザーも使って、アンビエントなサウンドを意識した曲もある。
 
ザクザク・ギュインギュインと鳴るバンドの演奏、そして、たそがれた味わいとならず者っぽい荒々しさが絶妙に入り混じるポーターの嗄れ声から筆者が連想したのは、ルセロ、ドライヴ・バイ・トラッカーズ、リッチモンド・フォンテーン、ライアン・アダムスら、オルタナ・カントリー・ブームとともに注目されたバンドばかりだった。アルバムを締めくくる「East December」からはリプレイスメンツも思い出した。
 
 
 
 
 
もちろん、新しい音楽とは言えない。むしろ、懐かしいと言ったほうがふさわしいかもしれない。しかし、こういう音楽を求めているリスナーは決して少なくない。
 
作品のクオリティーを考えても、『Don’t Go Baby It’s Gonna Get Weird Without You』はポーターにとって大きな転機になるはずだった。実際、前作以上に評判になっている。
 
享年36歳というあまりにも早すぎる死が惜しまれる。ポーター自身も悔しかったことだろう。
 
やっと出会えたと思ったら、もうこの世にいなかったなんて、あまりにも寂しすぎるじゃないか。
 
しかし、作品は残る。その魅力を伝えることでポーターのことを一人でも多くの人が知ってくれたら、彼の無念も少しは晴れるんじゃないか。そんなことを願って、『Don’t Go Baby It’s Gonna Get Weird Without You』を大音量で聴いている。
 
 
 

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THE FELICE BROTHERSにまつわるジレンマ

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アメリカーナなロックンロール・バンド、フェリース・ブラザーズのフロントマン、イアン・フェリースが8月にリリースしたソロ・アルバム『In the Kingdom of Dreams』に対する僕の興味は初め、09年にバンドを離れたドラマー、サイモン・フェリースによるプロデュースであることと、そのサイモンがドラムもプレイしたことで、グレッグ・ファーリー(フィドル)抜きとは言え、フェリース・ブラザーズのオリジナル・ラインナップのリユニオンが実現したことに向いていた。
 
 
 
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In the Kingdom of Dreams / Ian Felice (Loose)
 
 
 
サイモンが抜けてからバンドにふさわしいドラマーに出会えずにいるフェリース・ブラザーズに若干の物足りなさを感じていた僕は、イアンのソロではあるけれど、ひょっとしたらサイモンがいた頃のフェリース・ブラザーズが蘇るようなアルバムになっているんじゃないかと期待していたわけだ。常日頃、バンドに所属しているミュージシャンがソロ活動することに不寛容な態度を取っているくせに虫が良すぎると自分でも思いながら――。
 
しかし、『In the Kingdom of Dreams』は実にソロ・アルバムらしいソロ・アルバムだった。
 
アコースティック・ギター、バンジョー、あるいはピアノの弾き語りに若干の演奏を加えた曲の数々が持つ内省的な空気と音数をとことん絞った演奏が生む緊張感は明らかにバンドのサウンドとは違うものだ。これならソロ・アルバムをリリースする意味もある。最初は、ほっとしたような、ちょっと残念だったような複雑な気持ちになったが、ためのきいたサイモンのドラムを久しぶりに聴けたのもうれしかった。
 
バンドのアルバムと比べて、勝るとも劣らない聴きごたえが楽しめる、いや、イアンの歌の魅力が際立っているという意味では、バンドのアルバムよりも味わい深い、か。
 
ラストの「In the Final Reckoning」はエレピで弾き語るメランコリックなバラードだが、イアンの作詞・作曲にもかかわらず、どこかサイモンのソロを髣髴させるところがおもしろい。
 
ところで、サイモンを含むフェリース・ブラザーズのオリジナル・ラインナップのリユニオンは、実は10年と11月の6月にニューヨーク・シティーの北に位置するハドソン川沿いの小さな町、クロトン・オン・ハドソンで開催されたフェスティバル、Clearwater's GREAT Hudson River Revivalにフェリース・ブラザーズが出演したとき、サイモンが彼らのステージに飛び入りする形で実現している。
 
 
 
 
 
また、15年4月には、サイモンが同月の23日~26日の4日間、ニューヨーク州ウッドストックにあるアップルヘッド・スタジオで行ったライヴでイアン(ギター)、ジェームズ・フェリース(オルガン、ピアノ、アコーディオン)、クリスマスことジョシュ・ロウソン(ベース)、そしてグレッグ・ファーリーら、フェリース・ブラザーズのメンバーが演奏を務め、ファンを喜ばせた。この時、サイモンはソロ名義で発表した曲の数々に加え、フェリース・ブラザーズ時代にリード・ヴォーカルを務めていた「Don’t Wake The Scarecrow」「Radio Song」も歌ったのだった。
 
その時の模様は、15年10月(?)に2枚組のライヴ・アルバム『From the Violent Banks of the Kaaterskill』としてリリースされた。
 
 
 
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From the Violent Banks of the Kaaterskill / Simone Felice (Mighty Hudson)
 
 
 
それがすごい。
 
サイモンのソングライティングとヴォーカリストとしての力量を存分にアピールだけに止まらず、メランコリックなメロディーを歌い上げるサイモンの凄味のある歌に応えるようにフェリース・ブラザーズのメンバー達も気迫に満ちたソリッドな演奏を繰り広げている。
 
それを聴きながら、今のフェリース・ブラザーズには、その気迫や前述した緊張感がちょっと足りないんじゃないか、と思ったり、慌てて、いやいやいや、むしろたとえ主人公が野垂れ死んでしまう曲を歌っても決してペシミスティックにならないところこそが、フェリース・ブラザーズの本当の魅力なんじゃないか。コナー・オバーストが『Salutations』でバック・バンドに起用したフェリース・ブラザーズに求めたものも、きっとそれだったはず、と思ったり――。
 
ともあれ、タイトルとは裏腹にギャング風(と言うか、西部開拓時代のならず者風と言うか)の賑やかさを、これまで以上に打ち出した16年発表の『Life in the Dark』は、そんなフェリース・ブラザーズのベストと言ってもいいかもしれない。
 
 
 
 
 
 
 
 
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Salutations / Conor Oberst (Nonesuch)
 
 
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Life in the Dark / THE FELICE BROTHERS (Yep Roc)
 
 
 
しかし、その一方では、すでに書いたように……。
 
フェリース・ブラザーズのオリジナル・ラインナップのリユニオンが実現するたび、僕はそんなジレンマに悩まされるのだった。

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ニューオーリンズの5人組、THE DESLONDESのメンバー、SAM DOORESはなかなかの男前なのだった

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今年6月にリリースした2ndアルバム『Hurray Home』が素晴らしかったニューオーリンズの5人組、ザ・デズロンズ のことを、ここ日本でももうちょっと多くの人に知ってもらいたいと思って、何かいい紹介のしかたはないだろうかといろいろ調べていたら、メンバーの一人、サム・ドアーズ(写真中央)がかつて、ハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフことアリンダ・リー・セガーラと恋人関係にあったという記述を、イギリスの音楽誌、UNCUTの記事の中に見つけた。
 
デズロンズの前身バンド、タンブルウィーズ結成以前にサムがアリンダとともにブロークン・ウィング・ルーティーンやサンダウン・ソングスというグループで活動していたことも、14年頃までハレイ・フォー・ザ・リフ・ラフにメンバーとして参加していたことも知っていたが、まさか2人がそういう関係だったとは想像もしていなかった。
 
 
 
サムを含め、当時メンバーだったデズロンズの3人がハーモニーを加えている。 
 
 
 
へえ。ほぉ。だって、ねぇ。
 
自らもそういう立場であることを踏まえたうえで、アメリカにおけるさまざまなマイノリティーの権利を主張しながら、前へ進め!と訴える今風に言えば、それこそ男前のアリンダねえさんを魅了するんだから、サム・ドアーズという男もまた、度量の広さや気っ風の良さと言った意味も含め、なかなかの男前にちがいない。
 
そのサムは現在、ポニー・ハント名義で活動している女性シンガー・ソングライター、ジェシー・アントニックとつきあっているらしい。本人に確かめたわけではない。しかし、ネット上で見つけることができる2人の写真から、それは間違いなさそうだ。
 
ポニー・ハントが昨年10月にリリースしたデビュー・アルバム『Heart Creak』はサムの協力の下、当時、ジェシーが住んでいたオークランドとサムがいるニューオーリンズを行ったり来たりしながら完成させたそうだが、そのジェシーは現在、ニューオーリンズ在住。
 
 
 
 
 
 
ほぉ。へえ。
 
ヨーロッパを一人でツアーするなど、サムはデズロンズのメンバーの中で最も意欲的にソロ活動に取り組んでいる。全米各地からニューオーリンズにやってきた5人のソングライター兼マルチ・プレイヤー達による極めてデモクラティックなデズロンズだけでは、才気あふれるサムは満足できないのかもしれない。
 
デズロンズ、ソロ、ポニー・ハントのサポートに加え、最近ではニューオーリンズのガレージ・ゴスペル・バンド、ジャクソン&ザ・ジャンクスにも参加しているようだ。
 
そんなふうに精力的に音楽活動に取り組みながら仲間のミュージシャンを献身的にサポートすることを惜しまないところまた、彼が男前たる理由の一つなのかもしれない。
 
どうだろう。そんなサム・ドアーズを擁するデズロンズに興味を持っていただけただろうか?
 
 
 
 
 
 
前述した『Hurray Home』は、カントリーとリズム&ブルースを掛け合わせるだけに止まらず、フォークやジャズのエッセンスも取り入れるデズロンズのサウンドがさらに広がったことを印象づける意欲作だ。新たにラテン・ミュージック、テックス・メックス、ブルース、ロカビリーのエッセンスを加えたうえで、エレクトリック・ギターが前作以上にガレージ・ロック風にバリバリと鳴っているところがかっこいい。まるで、のほほんとレイドバックしているだけが俺達じゃないぜと言わんばかりだ。
 
立ったままバスドラムをキックしながら、手に持ったスネアをバシッ、バシッと叩くキャメロン・スナイダーのドラム・プレイが、そんなデスロンズ・サウンドのキモになっていることは疑いようもないが、それについてはまた次の機会に書いてみたい。
 
 
 
 
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Hurry Home (New West)

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JOHN PAUL WHITEとBEN TANNERがアラバマに作った音楽の理想郷

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(左からジョン・ポール・ホワイト、ウィル・トラップ、ベン・タナー)

 
タイトルで謳った理想郷は、ちょっとオーバーだったかもしれない。しかし、流行とは関係なく、あるタイプの音楽を愛する人達が夢を膨らませることができる場所が、アラバマ州フローレンスにはある。
 
それがジョン・ポール・ホワイトとベン・タナーがやっているシングル・ロック・レコード(Single Lock Records)だ。
 
ジョン・ポール・ホワイトはジョイ・ウィリアムズと組んでいたデュオ、シビル・ウォーズで、12年にグラミーのベスト・フォーク・アルバムとベスト・カントリー・デュオ/グループ・パフォーマンスを受賞した経験もあるシンガー・ソングライター。シビル・ウォーズ解散後は、ソロ・アーティストとして活躍しているが、アメリカでは俳優のジョニー・デップに似ていると評判になっているようだ。一方のベン・タナーは、15年4月にリリースした2ndアルバム『Sound & Color』が全米No.1ヒットになったアラバマ・シェイクスのキーボード奏者だ。
 
シングル・ロック・レコードと名乗っているように現在はレーベル業が中心だが、そもそものスタートは、リーズナブルな値段で使えるレコーディング・スタジオだった。やがて、地元・アラバマのバンドが世に出る手助けもしたいと考えたふたりは13年、友人のビジネスマン、ウィル・トラップの協力の下、レーベル業にも乗り出した。そして、アラバマ州バーミングハムの6人組ソウル・バンド、セント・ポール&ザ・ブロークン・ボーンズの『Half The City』(14年)のヒットを経て、現在は地元以外のアーティストの作品もリリースしながら、フローレンスのダウンタウンで116 E. Mobileというライヴハウスも運営。地元のライヴ・ミュージック・シーンを盛り上げることにも尽力している。
 
もちろん、レコーディング・スタジオもシングル・ロックから名前を、サン・ドロップ・サウンドと改め、現在も続けている(もしかしたら、シングル・ロックとは別にサン・ドロップ・サウンドを新たに作ったのかもしれない)。
 
便宜上、シングル・ロック・レコードと名乗ってはいるものの、いわゆるレコード会社ではなく、DIYを基本としたミュージック・コレクティヴ(共同体)と考えたほうがよさそうだ。
 
筆者がシングル・ロック・レコードに辿りついたきっかけは、ユタ州オグデンからやってきた15歳のシンガー・ソングライター、サミー・ブリューが今年6月、ニュー・ウェスト・レコードからリリースしたデビュー・アルバム『I Am Nice』だった。
 
 
 
 
ホワイトとタナーによるプロデュースの下、サン・ドロップ・サウンドとナットハウスででレコーディングされた『I Am Nice』を聴きながら、レコーディングに参加したミュージシャンが聞き慣れない名前ばかりだったので、どういう人達なんだろうと調べてみたら、シングル・ロックのレーベル付き(と言ってもいい)ミュージシャン達とシングル・ロックからシングルとEPをリリースしているフローレンスのロックンロール・バンド、ダニエル・エリアス+エキゾチック・デンジャーズのメンバーだったことがわかった。
 
ニュー・ウェスト・レコードから渡されたプロデューサー・リストの中から、サミーはホワイトとタナーを選んだそうだが、その決め手になったのは、フローレンスを含むマッスル・ショールズが50年代から受け継いできた豊かな音楽の歴史と伝統だったらしい。
 
フローレンスを訪れたサミーは、ホワイトにFAMEスタジオの見学ツアーに招かれ、そこで彼らにプロデュースを頼むことを決めたという。彼らと組めば、自分もマッスル・ショールズの歴史と伝統の一部になれるかもしれないと思ったようだ。
 
マッスル・ショールズの音楽の歴史に新しいページを加えながら、シングル・ロックの活動は、ジェイソン・イズベルアラバマ・シェイクスリー・ベインズ3世&ザ・グローリー・ファイヤーズの活躍によって、再び活気づきはじめたアラバマ・シーンを支えるものとして、これから注目を集めるに違いない。が、もちろん、その活動はアラバマだけに止まるものではない。
 
すでに書いたようにシングル・ロックは、ルイジアナ州シュリーヴポート出身のシンガー・ソングライター、ディラン・ルブラン、ナッシュビルのカントリー・シンガー、ザ・カーナルことジョー・ガーナーといったアラバマ以外のアーティストの作品もリリースしている。
 
 
 
Stpaul St.Paul & The Broken Bones
 
 
 
Danielelias Danile Elias + Exotic Dangers
 
 
 
Dylanleblanc Dylan LeBlanc
 
 
 
Thekernal The Kernal
 
 
 
そして、この7月にはニュー・ジャージー出身で、現在はナッシュビルを拠点にしているシンガー・ソングライター、ニコール・アトキンスレオン・ブリッジスを手掛けたナイルズ・シティー・サウンドとテキサス州フォート・ワースで作ったソウルなカントリーの新作『Goodnight Rhonda Lee』をリリースした。
 
 
Nicoleatkins Nicole Atkins
 
 
06年にソロ・デビューして、メジャーからの作品も含め、3枚のアルバムをリリースしてきた彼女を迎え入れたことは、サミー・ブリューのアルバムとともにシングル・ロックがさらに多くの人に知られる、いいきっかけになるだろう。
 
 
 
 
 
Frankly, that’s what we want to release—our favorite music.――をモットーに掲げるシングル・ロックが、これからどんなアーティストの作品をリリースしていくのか楽しみだ。きっと現在進行形のアメリカーナ・シーンに興味を持っているリスナーの好奇心を刺激する作品をリリースしてくれるはずだ。大いに期待している。
 
 
 
 
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Goodbye Rhonda Lee / Nicole Atkins (Single Lock)
 
 

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JUSTIN TOWNES EARLEがトヨタ・カローラを歌った理由

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ジャスティン・タウンズ・アールの最新アルバム『Kids In The Street』は、「Champagne Corolla」という日本人には親しみが湧くタイトルがつけられたロックンロール・ナンバーで始まる。
 
 
 
 
その「Champagne Corolla」を聴きながら、なぜジャスティンは日本を代表する大衆車であるトヨタ・カローラを小道具に使い、無為の日々を過ごしている若者が恋に焦がれる気持ちを歌ったんだろうと不思議に思っていたら、ジャスティンはその理由を、noisey.vice.comにこんなふうに語っていた。
 
「最近の車は55年型のシボレーと違ってクールじゃないから曲の題材にならないとこぼしているソングライターがいたんだ」
 
だから、俺がそのクールじゃない最近の車で曲を作ってやったんだ、と。
 
「俺は下流中産階級で育ったんだ。周りにいる連中もそいつらの母親もみんなカローラに乗っていたよ」
 
母親と限定したのは自分も含め、母子家庭が多かったからなのかどうなのか。ともあれ、カローラを題材にしたことで、カローラがどういう車なのか知っている人なら、街で見かけたイカした女の子を探し求める主人公の境遇やそこに滲むその境遇を脱け出せない悲哀が具体的な描写がなくてもなんとなく理解できるというわけだ。そこに最近の車を題材にする意味がある。
 
「マイク・モギスはここでメロトロンを試してみようぜという感覚を(『Kids In The Street』のレコーディングに持ち込んでくれた。俺だったらたぶんフィドルか何か、そういうトラディショナルな楽器を試していたに違いない局面でね」
 
この発言からもジャスティンが『Kids In The Street』でどんなサウンドにアプローチしようと考えていたかが窺えるが、noisey.vice.comの記事を書いたAnnalise Domenighiniは『Kids In The Street』にはサウンドのみならず、歌詞の面でもフォーク・ミュージックを現代的なものにしようというテーマがあったと指摘している。
 
その最たるものが前述した「Champagne Corolla」とジャスティンが弾き語りしたフォーク・ブルース調の「Same Old Stagolee」。
 
 
 
 
 
後者のモチーフであるスタッグ・リー・シェルトンによる1895年のビリー・ライアンズ射殺事件は、いわゆるマーダー・ソングとして、数多くのアーティストがそれぞれに手を加え、場合によってはタイトルも変えながら歌い継いできた。
 
中でも一番有名なのはロイド・プライスによって、1959年に全米No.1ヒットになった「Stagger Lee」かもしれない。個人的にはニック・ケイヴ&ザ・バッド・シーズによる『Murder Ballads』(1996年)の「Stagger Lee」やブラック・キーズによる『Rubber Factory』(2004年)の「Stack Shot Billy」も馴染み深い。
 
ジャスティンが今回、タイトルに加えた“Same Old”=相も変わらずのという言葉からは、手垢がついているとも言えるマーダー・ソングを改めて取り上げることに対する照れが感じられるが、Annalise Domenighiniによると、ジャスティンは1895年の殺人事件に現代のナッシュビルを重ねあわせているという。
 
「だって、今の時代、誰も鋤や馬を題材にした歌になんて共感しないし、そもそも誰も馬と鋤で畑を耕したりなんかしていないだろ」というわけだ。
 
scituate.wickedlocal.comにジャスティンが語ったところによると、曲は100通りぐらいあるのに歌詞はアップデートされたことがなかったから、彼のヴァージョンではStagoleeをクラックの売人として描き、Stagoleeと敵対する男を登場させたという。
 
「だけど、物語はちゃんと続いている。そして、曲を聴いた人達は、人々がこういうトラブルを繰り返し続けてきたことを思い知るんだ」
 
「Same Old Stagolee」の“Same Old”は決して照れなどではなかった。相も変わらず、120年以上も前の殺人事件を歌いつづけている連中に対するもなのか、愚かな行為を相も変わらず繰り返している人間に対するものなのか、いずれにせよ、“Same Old”という言葉には、痛烈な皮肉が込められているみたいだ。
 
そんなところがジャスティン・タウンズ・アールらしい。
 
 
 
 
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Kids In The Street (New West)
 
 

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THE LIVING ENDのフロントマン、CHRIS CHENEYがソロ・アルバムを完成させていたなんて!

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真ん中がクリス。今年2月~3月には『アメリカン・イディオット(ミュージカル)』のオーストラリア版に出演した。
 
 
ちょっとした理由があって、スカイラー・ウィルソンというナッシュビルのプロデューサー/ミュージシャン/コンポーザーについて調べようと思って、彼が参加した作品を年ごとにまとめた一覧を見ているとき、2017年の欄に
 
Chris Cheney (of The Living End), TBA: Producer, Composer, Performer
 
という記述を見つけた。
 
ええっ。それって、つまり日本でも根強い人気を誇るパンカビリー・バンド、リヴィング・エンドのフロントマンであるクリス・チェニーがスカイラー・ウィルソンとソロ・アルバムを作ったということでしょ?
 
彼がソロ・アルバムを作っていたなんて、全然、知らなかった。調べてみると、14年頃から温めていたアイディアを、16年の頭、ナッシュビルでウィルソンとともに形にしたということらしい。
 
レコーディングにはスコット・オーウェン、アンディ・ストラッカン――すなわちリヴィング・エンドのベーシストとドラマーも参加した。
 
16年9月、クリスがwww.news.com.auで語ったところによると、ソロ・アルバムにはアコースティック・ナンバー6曲とバンド編成でレコーディングした5、6曲が収録される予定で、カントリーの影響に加え、ビートルズ風のポップ要素や、ほとんどバラードと言ってもいい曲もあるそうだ。
 
「リヴィング・エンドとはかけ離れているんだ。彼ら(スコットとアンディ)も気に入ってくれているよ。リヴィング・エンドのようなサウンドじゃないところも含めね。(リヴィング・エンドのファンの)みんなが期待しているものとは違うんだ」
 
クリスの繊細な一面が表れた作品になっているようだ。
 
 
 
 
レコーディングしてからすでに1年が過ぎたが、ソロ・アルバムがいつリリースされるかはまだ発表されていない。現在、リヴィング・エンドはイギリス~ヨーロッパ・ツアーの真っ最中。それが終わると、8月、9月と2か月かけて北米を回る。
 
ソロ・アルバムのリリースは、バンドの活動がひと段落してからだとは思うが、果たしてその日は来るんだろうか? 18年はデビュー・アルバムのリリース20周年になるから、バンドの活動はさらに忙しいものになりそうだ。
 
リリースするならその前しかないんじゃないか?! リリースするタイミングを逸したまま、お蔵入りするなんてことにならないことを祈りつつ、今年中の、どこかのタイミングでリリースされることを願っている。

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デビューから10年、JUSTIN TOWNES EARLEが自らの殻を破ることに挑んだ

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サポート・アクトおよびバッキング・バンドにセイディーズを迎え、計24都市を回った春のUSツアーが素晴らしかったに違いないジャスティン・タウンズ・アールが5月26日にリリースした7thアルバム『Kids In The Street』がマイク・モギスによるプロデュースだったなんて、実際にCDを手に取るまで知らなかった。
 
しかも、レコーディングはネブラスカ州オマハにモギスが所有しているスタジオ、ARCで行われた。つまり、ジャスティンはナッシュビルからオマハくんだりまでわざわざ出かけていったわけだ。
 
これまで自分が拠点としているナッシュビルの界隈と言うか、人脈の中でアルバムを作ってきたジャスティンがこれまでとは畑がちょっと違うプロデューサーと組んだところに自ら殻を破ろうとしたことが窺える。ご存じ、マイク・モギスはコナー・オバースト率いるブライト・アイズのメンバー兼プロデューサーだ。プロデューサーとしては、ブライト・アイズをはじめ、インディー・ロックおよびインディー・フォークのアーティストの作品を多数、手掛けている。
 
ジャスティンのセルフ・プロデュースによるナッシュビル録音だった『Single Mothers』(14年)と『Absent Fathers』(15年)の2部作も、テキサス州デントンのインディ・ロック・バンド、セントロ・マティックのリズム隊を起用していたことを考えると、自ら殻を破ろうとした作品だったのかもしれない。そこで手応えをつかんだのか、それとも物足りなかったのか。今回はレコーディングする環境もがらっと変え、前2作の試みをさらに推し進めたようだ。
 
因みに参加ミュージシャンの顔ぶれも、ジャスティンの作品にはもはや欠かせない存在と言ってもいいナッシュビルのベテラン、ポール・ニーハウス(ギター、ペダル・スティール)以外は一新。モギス人脈のミュージシャンに変わっている。
 
結果、ジャスティンのキャリアに新しい風が吹いたことを印象づけるアルバムが完成した。
 
 
 
 
ジャスティンのアイディアだったのか、モギスのサジェスチョンだったのか。ジャスティンというと、カントリーに加え、12年発表の4thアルバム『Nothing’s Gonna Change The Way You Feel about Me Now』(12年)でがっつりと取り組んだソウル・ミュージックのイメージがあるが、今回は曲ごとに趣向を変えた多彩なアレンジが、『Kids In The Street』を聴きごたえあるものにしている。
 
いかにも電気ビリビリって感じのギターの音がかっこいいロックンロールがあったり、ボブ・ディラン風のフォーク・ロックがあったり、ニューオーリンズ風のR&Bがあったり、ウェスタン・スウィングがあったり、弾き語りと電化両方のブルースがあったり――アップテンポの曲が多いせいなのか、それとも新しいタイプの曲に挑戦しているからなのか、いつもは憂いを含んだジャスティンの歌声も今回はずいぶんと生き生きとしているように聴こえる。ノスタルジックなカントリー・ナンバーの出来もいい。その味わい深さは格別だ。
 
『Kids In The Street』を聴いてしまうと、2部作という意欲作だったにもかかわらず、『Single Mothers』と『Absent Fathers』はちょっと覇気に欠けていたようにも感じられる。
 
10年に一度、活動を休んでリハビリに専念してから、ジャスティンの活動はすこぶる順調だったから、復活という言葉は当てはまらないかもしれない。しかし、順調すぎるあまり、どこかわくわくするような感覚が足りなかったこの数年を思えば(それはジャスティン自身、感じていたんじゃないか。だからこそのオマハ行きだったはず)、今後、ジャスティンのターニングポイントとして記憶されるに違いない『Kids In The Street』の鮮烈な印象に対しては、復活という言葉を使ってもいいんじゃないか。筆者はそんな気がしている。少なくともジャスティンに対する筆者の興味は、『Kids In The Street』をきっかけに、これまで以上に強いものになっている。
 
ドラムの音の処理やアンビエンスを意識した音響、演奏に加えた鉄琴の音色など、モギスによるものと思しき細かい音作りも『Kids In The Street』の聴きどころの一つ。モギスもジャスティンの熱意に応え、いい仕事をしている。
 
 
 
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Kids In The Street (New West)

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4ADが惚れ込んだ異色の巨漢シンガー・ソングライター、JOHN MORELAND

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15年発表の『High On Tulsa Heat』で跳ね上がったジョン・モアランドの人気は今回、4ADから新作『Big Bad Luv』をリリースしたことで、さらに上がるに違いない。
 
斯く言う筆者も『High On Tulsa Heat』を聴き、見た目からの連想を裏切らないモアランドの無骨な歌心に魅了された一人だが、彼が4ADと契約したと聞いた時は、正直、自分の耳を疑った。なぜなら、モアランドは4ADのレーベルカラーと最も遠いところにいる存在だと思ったからだ。
 
バウハウスやコクトー・ツインズが輩出した頃のゴシック色は、かれこれ35年以上も前の話だが、所属アーティストの顔ぶれがどんなに変わっても、4ADには確固たるレーベルカラーがあった。
 
ひょっとしたら、モアランドが時折漂わせる退廃的というイメージは共通しているかもしれない。しかし、かつてここまでアメリカーナ色の濃い、見るからに暑苦しいアーティストが4ADに所属したことがあっただろうか?
 
モアランドの圧倒的な存在感を考えると、彼一人で4ADが40年近くかけて作り上げてきた、このレーベルならではの美学を覆してしまう恐れもあったかもしれない。しかし、それでも4ADはモアランドを迎え入れた。つまり、そこまでモアランドの才能に惚れこんでいたということだ――と、ここでは嘯いてみたい。
 
オクラホマ州タルサを拠点にしているジョン・モアランドは、85年6月生まれの32歳。
 
13歳の時にパンク~ハードコア・バンドを始めた彼は19歳の時、父が聴いていたスティーヴ・アールの歌にショックを受け、シンガー・ソングライターに転向した。
 
「04年にスティーヴ・アールが『Revolution Starts Now』をリリースしたんだ。その中の「Rich Man's War」という曲を聴いた時のことはいまだに忘れられないよ。誰かに胸を殴られたような気がしたんだ」
 
以来、その胸を殴られるような感覚を追い求めながら曲を書き続け、2年に1枚というペースでアルバムをリリースしてきた。
 
今回、4ADからリリースした『Big Bad Luv』は、ソロ名義でリリースする4作目のアルバムだ。自主リリースだった前作『High On Tulsa Heat』は実家のリビングルームで、両親の留守中に友人達の助けを借りながらも、ほぼ一人でレコーディングしてしまったが、今回はアーカンソー州リトル・ロックにあるちゃんとしたスタジオで、プロのエンジニアとともにレコーディングした全11曲を収録。レコーディングには『High On Tulsa Heat』にも参加していたジョン・カルヴィン・アブニー(ピアノ、ギター)、ジャレッド・タイラー(ドブロ)らに加え、ルセロのリック・ステフ(ピアノ)、シャヴェルズ&ロープ、ドウズのメンバーも駆けつけた。
 
 
 
 
賑やかだったに違いないスタジオの空気を反映しているせいなのか、モアランドがにわかに吹き始めた追い風を感じていたせいなのか、『Big Bad Luv』は前作の寂寥感に代わって、溌剌とした躍動感が聴きどころと言える作品になっている。
 
弾き語りの曲は別として、大半の曲をバンド・スタイルでレコーディングしたことも大きようだ。その意味では、ギター、ベース、ドラムスという基本編成にサポート・ミュージシャンがオルガン、ピアノ、ペダル・スティール、ドブロの音色を加えたことでリッチになったアンサンブルも聴きどころだろう。
 
筆者も含め、1曲目を飾る軽快なロックロールの「Sallisaw Blue」に驚いたファンも多かったと思うのだが、海外では“これまで悲嘆、喪失、孤独を歌っていたモアランドが希望と言ってもいい一筋の光も歌い始めた”と評判になっている。
 
「そんなに違う曲を書いているとは思わない。これまでだってポジティヴな要素は常にあった。それは明るいとは言えない曲でさえもね。少なくとも、俺の曲は自分が前に進むためにネガティヴな感情を追い払うためのものだった。ひょっとしたら、リスナーにもそれと同じ経験をしてもらえるかもしれない。その気持ちは今も変わらない。ポジティヴなものだと思う。今回のアルバムは確かに姿勢の変化はあるかもしれない。だけど、曲を作る時の俺の視点は変わってはいないんだ」
 
明るくなったかどうかはともかく、前述したようにアンサンブルがふくよかになったぶん、確実にこれまでよりも聴きごたえあるものになった。より多くの人に聴いてもらえるに違いない、このタイミングでそういう作品を作ったことには意味がある。
 
「バーの片隅で歌えればいいと思っていた。100ドル稼いで、家に帰って、翌朝、仕事に出かける。それで十分だった。だから、今、こんなことになるなんて思ってもいなかった。だけど、その一方では、こうなることを期待していたんだ。自分にはそれだけの才能があると感じていた。俺には常に自信があったよ。そう思うべきではない時でさえね」
 
4ADがどうしても契約したかったジョン・モアランドという才能に、ぜひ注目を。
 
吠えるように歌う嗄れ声も見た目もインパクトなら誰にも負けてはいない。
 
 
 
Johnmorelandjkt
Big Bad Luv (4AD)

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KINGS OF LEONに見出されたTHE WEEKSがアメリカーナをシンボライズするやり方

Theweeks

 
今年の3月、SXSWでウィークスのライヴを見たとき、ヴォーカリストのカイル・バーンズが腰にナイフをぶら下げていてちょっとびっくりした。
 
刃渡り10センチぐらいだろうか。革のケースに入っていたからはっきりとはわからない。
 
これ見よがしにぶら下げていたわけでも、逆に隠し持っていたわけでもないから、アクセサリーでも凶器でもないのだろう。
 
アメリカ人って我々日本人よりも日常生活の中でナイフを使うことが多いように思うし、町と町の間に砂漠や森林が広がるアメリカを、小さなヴァンでツアーしていたら、いろいろな場面でナイフが必要なこともあるのだろう。
 
そういう意味では実用品なのだと思うが、ステージに立つ時ぐらいは、どこかに置いておいてもよさそうだ。それにもかかわらず、腰にぶら下げているってところにアメリカを、強烈に感じずにいられなかった。
 
それもまた一つのアメリカーナと言ってみたい――。
 
ウィークスは06年結成の4人組。双子のカイルとケイン(Dr)のバーンズ兄弟を中心に集まったメンバー達は結成当時、まだ14~15歳だったという。
 
元々はミシシッピ州ジャクソンを拠点にしていたが、キングス・オブ・レオンに見出され、ナッシュビルに移住。彼らのオープニング・アクトとして、アリーナのステージに立ったり、彼らのレーベル、Serpents And Snakesから作品をリリースしたりしてきた。
 
13年にSerpents And Snakesからリリースした『Dear Bo Jackson』はデビュー当時、グランジ版サザン・ロック・バンドと謳われたウィークスがR&B、ソウル・ミュージック、ファンクの影響を取り入れながら、改めてアメリカの南部で生まれ育ったミュージシャンとしてのアイデンティティーを打ち出した作品だった。
 
 
『Dear Bo Jackson』収録の「Kign Sized Death Bed」のMV。ニッキー・レーン客演している
 
それから3年8か月。活動を止めてしまったSerpents And Snakesからレーベルを、ライトニング・ロッドに移して、今年4月、ウィークスがリリースした3rdアルバム『Easy』はスタジオで作り込んだ前作の反動なのか、ライヴを意識したストレートなロック作品に回帰している。
 
『Easy』収録の「Talk Like That」
 
曲によっては前作で取り入れたホーン・セクションもフィーチャーしているが、メンバー達はメンフィスにあるアーデント・スタジオでレコーディングしている間、シン・リジー、T-レックス、ZZトップ、そしてメンフィスのローカル・ヒーロー、ビッグ・スターのレコードを聴いていたそうだ。
 
「俺達はただロックのレコードを作りたかっただけだ。サザン・ロックのレコードを作ろうなんて思っていたわけじゃない。南部っぽい要素はいつだって俺達がやることの一部になるんだ」
 
ベーシストであるダミエン・ボーンによるこの言葉からは、アメリカの南部にしっかりと根を張ったバンドならではの誇りが感じられる。
 
 
Theweeksjkt
Easy (Lightning Lod)

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JACK WHITEのTHIRD MAN RECORDSが契約したJOSHUA HEDLEYって誰だ

Joshuahedley

 
一言で言えば、新たなアウトロー・カントリーのスターだ。
 
ナッシュビルの新世代アウトロー・カントリー・シーンを記録したドキュメント映画『Heartworn Highways Revisited』でジャスティン・タウンズ・アールジョン・マッコーリー(ディアー・ティック)ニッキー・レーンらとともにジョシュア・ヘドリーを取り上げた監督のウェイン・プライスは、彼についてこんなふうに言っている。
 
「町の誰もがあいつのことが大好きだし、本物だって知っているんだ。あいつがフロントマン、もしくはソロ・アーティストになりたいなら、そうなれるよ。だって、あいつには、その才能があるんだからね」
 
 
 
 
フィドル・プレイヤーとして、8歳の頃からステージに立ってきたという。
 
その後、ジャスティン・タウンズ・アールジョニー・フリッツのサポート・ミュージシャンとして、ナッシュビル・シーンで頭角を現してきた。そんなジョシュアの存在は昨年11月、米ローリング・ストーン誌の「10 New Country Artists You Need To Know」に取り上げられたことをきっかけに、より多くの人に知られることとなった。
 
筆者もその記事を読んで、ジョシュアの存在に気づいた一人。慌ててチェックしてみたら、ジャスティン・タウンズ・アールジョニー・フリッツの作品のみならず、ニッキー・レーンラングホーン・スリムのアルバムでも彼のプレイを知らず知らずのうちに耳にしていた。
 
サイドマンとして活躍するかたわら、ソロ・シンガーとしても活動し始めたジョシュアはフィドルのみならず、歌声の魅力も買われ、今回、レーベルメイトになったマーゴ・プライスの『Midwest Farmer’s Daughter』やアラバマのラッパー、イェラウルフのシングル「Shadows」ではヴォーカリストとして客演している。
 
 
 
 
 
 
 
 
契約を結んだことが発表されただけで、サードマンからのデビューがいつになるとか、それがどんな作品になるのかとか、具体的なことはまだ何一つわからないが、サードマンと契約した日にジョシュアが発表したコメントからは、彼の気骨とともにミュージシャンとしての信条が窺える。
 
「フィドルを初めて手にした時から今この瞬間まで、俺がやりたかったのは音楽を作ることと、それを世界中の人達と分かちあうことだった。山あり谷ありの長い道のりだったけど、途中であきらめようとも思わなかったし、セルアウトしたこともないし、誰かのために自分を変えたこともない。俺はあらゆることを自分がやりたいにようにやってきた」
 
それに、ともに素晴らしい作品だったマーゴ・プライスの『Midwest Farmer’s Daughter』とリリー・メイの『Forever And Then Some』がすでにアーティストを選ぶジャック・ホワイトの目の確かさを証明しているんだから、ジョシュアがこれからリリースする作品だって大いに期待して良さそうだ。
 
 
Jackjoshua
 
 
65年のカントリーが理想と語りながら、それだけに止まらないジョシュア・ヘドリーならではのカントリー・ソングを届けてくれるに違いない。

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